実は彼女はずっとこのブログを読んでいます。

そして、僕の書く内容に対して本気で怒ったりキレたりしたことはないです。

僕が自分で言うのものなんですが、ここまで書かれて怒らないのも凄いのではないでしょうか。

別に僕も彼女の悪口を書くつもりはまったくありません。だた、どうも僕は物事を悪い面からとらえてしまう性格なので、彼女の良くないところばかりがネタになってしまう傾向はあります。

ですが、彼女が僕に怒れない絶対的な理由があります。

僕がこのブログで書いていることはほぼ事実だからです。

 

僕は人に物事を説明する時に内容を盛ること(誇張すること)はあまり好きではないです。

まあ、面白おかしくしようとする時は多少盛りますが、それは聞いてくれる人にはわざと盛っていると分かるようにします。

なので、僕は基本的にこのブログでは真実を書いています。

 

彼女は白塗りのベンツだろうがセルシオだろうが、割り込めばクラクションを鳴らしパッシングをします。そういう車と何度もトラブったことがあるらしいのですが、止めません。

車の運転自体も、言えないような(僕なら死の恐怖を感じるような)ことをします。詳しくは書けません。

駅のホームでは一歩押し出されたら、〇〇して、走っている列車と○○しそうな場所を平然とハイヒールで歩きます。革靴の男性すらよけて歩くようなところをです。(それを見た後、お願いだから止めて欲しいと何時間も頼みました。)

彼女は僕の知り合いの初対面の男性に対して、平気で下ネタを話します。見た目はとても女性らしいのにです。(多分、これをやられた男性は、彼氏(つまり僕)が指示を出して無理矢理やらせているんだと勘違いする可能性が高いはずです。残念ですが、普通ならそういう風にしか解釈できません・・)

 

そして、一番信じてもらえなそうなことなのですが、彼女は本質的に乳がんを恐れていません。

彼女が恐れているのは、主に乳がんについての二次的なもののようなのです。「通院が面倒」とか「薬の副作用が嫌だ」とか「ちゃんと治療しないと周りに文句を言われる」とか。

自分の体が乳がんに負けるような不健康な体だということが一番嫌だとも言っていました。

もちろん、それらは乳がん患者の誰にとっても嫌なはずです。

ですが、普通ならば一番恐れるものは、乳がんという病気自体なのではないでしょうか。乳がんが恐いという感情自体が、彼女の治療に対する理由の一番大きいものになっていないようにしか見えないのです。

 

ここまで書いてみると、ちょっと僕の言っていることは信じてもらないような気がします。そして、もしこれが本当でないのならば、僕はとてつもなく不謹慎なことを言っていることも自覚しています。

 

僕自身も彼女と付き合い始めた当初は、そんなわけがないと、自分の考えを否定したものです。ですが、長く彼女と付き合い続けていくと、そう考えないと全てのつじつまが合わない状況にしかならなくなっていったのです。

この世には、死を恐れない人間というものがいるようなのです・・・

 

仮に、彼女が乳がんを恐れていないと自ら宣言したとして(そのように僕が感じる彼女の発言は何度もあります)、そのような態度を取ったとしても、それでも彼女の無意識は彼女自身にすら見えないものなので、深層にある恐怖心を仮定しないことは不誠実だと思います。

その仮定しかできない恐怖心を安らげることが、僕のような彼女に近しい人のやるべきことだと思います。

そ、そう信じてみるしかないです・・・

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男女が二人で一緒にいる意味はなんでしょうか。

なんとなくですが、決まった意味などない、というのが正解のような気がします。僕の主観ではない、多くの人の客観だとそうなるような気がします。

ただ、僕の答えは明確にあります。

僕にとって男女二人が一緒にいる意味は、お互いが一人きりでいるよりも、何か良いことがある、ということです。

やる気が出て頑張れたり、協力して何かを成し遂げたり、何もなくても楽しい気分になれたり。

お互いが一人でいて、一人ずつの生産量より、なんでもいいのですが二人でいる時の二人の合計の方が多く生産できることが、二人でいる理由だと思います。

生産するものは、物質的なものでも精神的なものでも、僕はどちらでもいいと思いますし、どちらでも結局同じことだと思います。

お互いが作り出すものが違ってもいいです。どちらかが精神的な支えになって、どちらかが物質的な生産をして、その総量がそれぞれ一人でいる時の合計の二人分より多くなればいいのです。

単純に一方が一方を看病するだけの関係だったとしても、看病する側が得るものはあると思います。つまり看病される側が作り出しているものがあります。それは思った以上に大きいのかもしれません。だからそもそも看病という行動が生まれるのです。

 

しかし、精神的なものを含めた二人の作り出すものの総量が、お互いが一人でいる時の二人分の合計の量より少なくなってしまうと、原理的に二人でいることはそれぞれにとってマイナスになり、二人で一緒にいることは困難になります。

二人の作り出す合計量が一人ずつの合計より少ないと、一緒にいれば一緒にいるほど、一人でいた時より少なくなった分の取り合いを二人ですることになるのです。

そのような状態は長続きしません。

 

そして、そういった目線で見てみると、僕の彼女は美しいと思えるくらい、一人でいる時と二人でいる時の生産量は変わっていないように見えます。

それはすなわち、人の意見を聞き入れないということです。相手のいい影響も悪い影響も受けないのです。マイペースなのです。

なので、僕の理屈で言うと、僕と彼女が一緒にいられるかどうか、つまり二人の生産量をプラスにできるかマイナスになってしまうかは、僕自身の生産量にかかっている、ということになります。

 

この結論は、僕が別の経路で日ごろから考えている人間関係についてのものと一致します。

僕は喧嘩やいさかいがあった場合、すべての場合はお互いに原因があると思っています。すべての場合はどちらからのアプローチでも喧嘩やいさかいを終わらせることができると思っています。

どんなに相手が悪いと思ったとしても、客観的に見ればお互いがお互いの生きている環境の一部分でしかなく、その環境にどう対応するかという自分自身の問題なのです。

目の前にいる人の発言や行動は、自分自身の問題なのです。

怒りを表すのは選択肢の中の一つです。一時的に無視するのも選択肢。建設的に話し合うのもの選択肢です。相手の行動は相手のものですが、その相手の行動に対して自分がどう反応するかは、自分が決めることです。

 

乳がんについて僕が彼女にやってあげようとしたことは、彼女にとってマイナスになってしまったかもしれません。

僕からすると、僕が一生懸命に彼女のためにやったことを彼女が受け取らなかった、と取れます。僕の好意が彼女にとってマイナスになるならば、僕は彼女と一緒にいる意味はない、と考えられます。

最初はそうしか解釈できませんでしたし、悲しくしかなりませんでした。

 

ただ、それは考え方の一つです。すべてではないはずです。

自分としてはできる限りのことをやって、結果に関わらずそれで満足しておこう、というのも考え方の一つです。

そもそも、乳がんについて調べるということは彼女のために僕がやろうとしたことです。誰かに何かをやってあげて、それが受け入れられないから失望するというのは矛盾しています。

 

僕と彼女は基本的に話し合いが成立しません。僕はその原因は彼女に話し合う能力がないからだと思っています。

それが仮に事実だとします。そうだとしても、僕が彼女と一緒にいて頑張れるかどうかは、それとは根本的に違う話なのでした。

僕が彼女と一生一緒にいられるかどうかは、僕の問題であって、彼女の行動で決まることではありませんでした。

 

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僕は根本的に間違っていました。

 

僕は彼女が乳がんの告知を受けた時から、彼女をサポートしようと思っていました。

ですが、彼女の乳がんは初期だったので、身の回りのことや生活のことなど特別に困ることはなかったです。

なので、僕は乳がんについての情報を集めることで彼女をサポートしようと思いました。少しでも多くの情報を集めて、治療について後悔のない判断をして欲しかったのです。

しかし、これは根本的に間違っていました。彼女の性格をよく考えれば、これが間違いだったことは明白でした。僕は彼女の性格をよく知っているつもりでしたが、考えが及びませんでした。

 

彼女は人に言われて自分の考え方を変えることはありません。本当に変えません。

それは彼女の短所ですが、長所でもあります。

僕は最初、彼女が意地になったり、簡単に考え方を変えることは恥だと思っていたり、そんな感じの理由で意図的に考え方を変えていないのだと思っていました。

ですが、長く彼女と付き合う内にそうではないことが分かりました。彼女には失礼な話なのですが、彼女には相手の考え方を理解して自分の考え方と融合させるような柔軟な知性がないのだと気づきました。

彼女はそもそも自分の考え方を変える能力に乏しいと思えました。変えないのではなく、上手く変えられないのだと。

 

フォローするわけではないのですが、一応書くと、彼女の頭が悪いと言いたいのではないです。

彼女は経験的に結論を出すようなことはとても得意なのですが、それとは逆の未経験のことを論理的に推測して考えるようなことが不得意なのです。

これを僕は重々承知していたつもりでしたが、それをふまえて彼女の乳がんの対応をすることができませんでした。

 

どういうことかというと・・・

まだ、起こっていないこと、これから起こる可能性があることで、彼女にとって嫌なことや辛いことを可能性として示すことは、彼女にとっては嫌がらせでしかなかったのです。

残念ですが、これが僕が結論です。

 

僕としては、彼女の乳がんの状態、つまりステージやタイプ、悪性度などから、まずどのような治療法の選択肢があるのかを調べました。

その後、それぞれの治療法の効果の大きさや副作用を調べようとしました。

そしてデータはほぼ集まり切りました。これ以上望むならば、オンコタイプDXをやるしかないですし、それも検討しています。

 

それらのデータから、僕は彼女に「アドバイス」をしました。

あくまでも「アドバイス」であって、最終的には彼女自身が決めなければならないと思っていました。そうでないと彼女が後で後悔する可能性が残ると思いました。後悔しないために、彼女自身がよく考えて治療法を自分で決めて欲しかった。

その時点で知り得る情報を洗い出してよく考えた結果の治療法選択ならば、例え選択した結果が悪い方に転んでしまったとしても後悔はしないだろうと。

その発想が間違いでした。

 

「後悔しない」ことは「納得する」と言い換えられます。

全力を出しても及ばなかった場合、多くの人はあきらめがつきます。全力を出しても無理だったのだと納得します。

全力を出さずに悪い結果になってしまった場合、あきらめられないかもしれません。自分はあの時にどうして全力を出さなかったのだ、と。

僕はこれが当たり前だと思っていたのですが、彼女は違ったのです。逆でした。

彼女は全力を出しても及ばなかった場合、むしろ納得できないのです。どうしてこんなにやったのに、上手く行かないのか!と。

彼女は全力を出さずに悪い結果になった場合、それは納得できるらしいのです。全力を出さなかったから悪い結果になった。それは当然だから納得。だと。

 

本当にすべてが間違っていました・・・

僕が彼女の乳がんの治療法について「僕ならこうするだろうけど、でもそれを君に無理にそうしてもらおうとは思わない。僕の意見はあくまで参考にして自分でよく考えて」と言いました。

そもそも人の意見によって自分の意見を変えることがない彼女には、相手が自分の意見を言っているのに、それが押し付けでなくて、参考にするためのもの、ということの意味を理解できなかったようです。

彼女は怒り出し、私にあたなの意見を押し付けようとするな、と言ってきました。

何度そうではないと説明しても、本質的に「自分とは違う意見を参考にする」ということの意味が分からないようでした。

彼女にとって、僕が自分だったらこうするだろうという意見を言うことは、すなわちその治療法を彼女にやらせようとしていることと同義だということでした。

 

また、僕は彼女の乳がんの予後予測について、良い可能性も悪い可能性も、治療法に合わせてすべて考えました。

無治療だった場合の再発率と各治療をした場合の再発率をいろいろなところで聞いたりデータを調べたりしました。

僕は良い方も悪い方も、すべての可能性を知っていた方が、後悔しない治療法選びができると思っていました。しかし、彼女は違いました。

悪い方のデータは見たくないと言っていました。悪い方のデータは見た分だけ後悔が残る、と言っていました。

例えば、薬の副作用で一般的な解説に乗っていないようなものを聞いたがゆえに、もしその薬を飲むことになったら嫌な気持ちになる、と言っていました。見なければよかったと言っていました。

その薬の副作用は使うか使わないかの参考にすべきデータにはならず、嫌な印象を与えるだけの情報になりました。彼女には「参考」はないのです。

再発率の数字も、彼女に嫌な感じを与える数字として見えたようです。彼女はタモキシフェンを飲みたくないので、飲まなかった時の再発率は、見せられると嫌な気持ちになるだけのものだったのです。

 

つまり、僕が彼女のサポートとしてやったことは、すべて彼女にとっては嫌なことだったわけです。

 

多分、これを読んで下さった多くの方は、「彼女は乳がんを恐れて、弱気になって、前向きになれないんだ、現実が見られないんだ」「そんな時こそ、彼氏が彼女を支えるべきだ」と思うことでしょう。

そんなコメントを下さる人もいるかもしれません。

でも多分、彼女はそれを見て、屈託のない笑みで否定することでしょう・・・

 

(追記)その後、何度も彼女と話し合いました。やはり、「後悔のない判断を彼女自身にしてほしい」という思いを彼女に何度も伝えました。どうも、僕がそういうことを言うことの意味が彼女に伝わっていないようでした。本文でも同じ意味合いのことを書きましたが、そもそも彼女と僕の「後悔」の基準が違うので、なかなか伝わらないとこです。ですが、どうやら僕が僕の考えた治療方法を強制しているのではないということは分かってもらえたようです。そして、僕の方も「僕だったら後悔しそうだから」という考え方を止めることにしました。

 

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