僕が乳がんにおびえる訳にはいかなかった
ようやく彼女のホルモン療法が始まりました。
タモキシフェンの副作用はどうなるか分かりませんが、一応これでやるべきことはすべてやって、後は結果を待つだけの体制になりました。
彼女が温存手術をしたのは約3ヶ月半前です。乳がんの告知を受けたのは昨年の11月の中旬くらいだったと思います。あれからもう半年以上も経ちました。
手術が終わるまでは、眠れない夜もありました。彼女本人はそんなことはなかったらしいのですが・・・
彼女に乳がんの疑いありとなった時点では、そこまで心配していませんでした。なぜなら、その約10カ月前に彼女は結構大きい胸のしこりを見つけて婦人科に行き、良性だと診断を受けてきていたからです。
また同じようなことなのだろう、とたかをくくっていました。
その上、それとほぼ同時期に、僕の母の咳が1か月近く止まらず、肺のレントゲンやCTには炎症と腫瘍の区別のつかない影が映っていたのです。
正直に言うと、母の方が心配でした。医者も腫瘍の可能性が高いので、肺の内視鏡をやろうと言っていました。
肺の内視鏡は他の内視鏡に比べるととても大変なものらしく、年老いた母には相当の体の負担になるものでした。それをあえてやるわけですから、画像からはかなりの肺がんの可能性が読み取れたということだったのでしょう。
そもそも1か月近くも治らない肺炎というのもめずらしいと聞いていました。
しかし、いろいろあって、母は肺の内視鏡検査を受けずに肺炎だったことが判明しました。そしてその直後に、彼女の乳がんが確定してしまったのです。
「例え乳がんだったとしても、まだ1cmだし早期発見なので大丈夫」というのが、初めにかかった地元の婦人科の医師の言葉でした。
ですが、針生検をやるために紹介された大学病院では、「2cmくらい」だと言われ、その後の針生検の結果から乳がんが確定したことと同時に「ki67が高い」となりました。
このころが僕が一番彼女の乳がんを心配していた時期でした。
最初に1cmだと言われてから2cmだと言われるまでに、1か月くらいは経っていました。今ならば、それは検査や診察の方法の違いからくる診断のズレだと言い切れますが、当時は知識がなかったので「大きくなってしまったのかも」という思いも捨てられませんでした。
ましてや、ki67=増殖能が高いということが分かってしまったわけですから。
そしてさらに、この段階で、父から勧められていたがん専門の大病院に転院するかどうかを決めることになったのです。
大学病院はとても有名なところでしたので、手術待ちの期間もそれなりにありました。ですが、がん専門の大病院の方に転院して手術を受けるのならば、それにプラスして1か月以上は手術待ちの期間が増えるとのことでした。
かなり悩みましたが、彼女と相談のすえ、がん専門病院に転院することに決めました。
この手術待ちの期間が本当に辛かったです。
1cmのしこりが2cmになったと勘違いしていたこと、ki67が高いと言われていたこと、そして、転院することが正解なのかどうなのか。思い悩みました。
しかし、患者本人の彼女より僕の方が乳がんを気にしたり恐れたりするべきではないと、自分に必死に言い聞かせていました。
つらい期間も過ぎ去り、手術を受けてからはかなり気が楽になりました。
まず、手術中のセンチネルリンパ節生検によって、リンパ節の転移がないことが確定したことが大きかったです。
そして、その後の病理検査の結果では、針生検では高いとされていたki67が14.7とさほど高い数値ではない(むしろ低い)と分かりました。
このki67という指標は乳がんの治療法を決めるために重要な指標ではあるのですが、まだ各医療機関でその測定方法や扱い方が明確には決まっていないという、なんとも厄介なものらしいです。
リンパ節転移がなく、ki67も低かった。彼女の乳がんの治療は望外に順調に行っているはずでしたが、この後、主治医になぜか抗がん剤を勧められて、また問題発生となってしまうのです。
しかし、それももうすっきり解決しました。解決して、彼女のホルモン療法開始です。
今は感無量です。
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ディスカッション
コメント一覧
私が、一番、ショックを受けたのは、当然、針生検の結果を娘と
聞いた2月17日ですね。
娘から針生検受けた人は、みんな家族と話を聞くことになっているからと病院で言われたと言ったので、良性かもとたかをくくっていました。(今にして思えば、おかしいのですが)
うちも、先生が、「検査、手術、治療と1カ月単位になることが多いので、病院を早く決めましょう。ただ、乳がんは進行が遅いので、病院を決めて、治療計画がたてば、あとはゆっくりでも大丈夫」と言われたのを覚えています。
幸いなことに、その病院は「地域がん拠点病院」で、治療を決めた病院が、「拠点病院」からの紹介は最優先にし、診察初日にすべての検査を終えて診察(クイック診療と呼ばれていました)システムで、27日初診、3月17日手術とあっという間の1か月でした。
心の準備も乳がんの知識も中途半端のままでした。
初診のとき、リンパの転移もおそらくなく、放射線治療後、抗がん剤も使わくて済みそうだと言われてかなり安心しました。
というか、安心してしまって、抗がん剤使用なしが、術後の薬物
治療なしと勘違いして、学習をやめてしまいました。
なので、術後の最初の診察で、放射線のあと、ホルモン療法5年、
その間は避妊すること言われたときは、天地がひっくり返るほど
ショックでした。長すぎる・・・・・。副作用あり過ぎ・・・・
日常生活の質が落ちるかも・・・・・
娘は14日から飲んでいるはず。そろそろ1週間です。どうかな。
とっても心配です。
追伸:彼女さんの引っ越し、術後で正解ですよ。
娘も、がんが見つかる前から家を探ししていましたが、なかなか
決まらず、やっと7月1日に引っ越しするとか。
副作用のこと考えなさすぎだろうと思ったのですが、
彼が助けてくれるからいいらしいです。
いつもコメントありがとうございます。
たしかに、ホルモン療法が基本タモキシフェン5年だということを知った時は僕もショックを受けました。
ですが、これは逆に考えると、ルミナール型の乳がんは進行が遅いからともいえます。何年何十年の単位で、エストロゲンの影響でがん細胞が成長行くわけで
それの進行を遅らせるためのタモキシフェンなのですから、やはり長い期間の服用が必要になるということなのでしょう。
タモキシフェンの情報はこれからも少しずつ集めて行こうと思っています。
娘さんは7月に引っ越すのですか。
タモキシフェンの副作用は強い人と弱い人との個人差が大きいようなので、取りあえずは小さいことを願いましょう。僕の彼女もタモキシフェンを始めてまだ一週間経っていませんが、どうなることなのか心配はしています。
もし副作用が強く出てしまった場合に、考えられる対策が何かあると良いのですが。