また、彼女との引っ越しの話し合いがこじれてしまいました。言い合いになりました。

不謹慎なことかもしれませんが、彼女と乳がん以外のことで話がこじれればこじれる程、それが乳がんの治療法の話し合いの時の参考になります。

乳がんの治療法選択についての決断は、彼女と僕の人生の中で最も重要なものの一つになるはずです。なので、お互いに心からの本音を言い合って、後悔のないものにしたいと思います。

深く話し合えるヒントになるかもしれないので、引っ越しの話し合いでの彼女と僕の認識のズレについて考えているところです。

乳がんについての話し合いと引っ越しの話し合いを、まったく同じように考えない方がいいことは承知しています。ですが、まったくヒントにならないということでもないと思います。

 

僕は以前から、人に何かをしてあげることと、人に何かをしてもらうことは、ほぼ同じことだと考えるようにしています。

それはつまり、人に何かをしてあげた結果で相手が得る実利的なものやことの大きさよりも、それをした二人の間に起こった関係性の変化の方が重要だと考えているということです。

何かをしてあげた結果、その相手との関係が悪くなることもありますし、何かをしてもらった結果、その相手との関係が良くなることもあります。

何かをしてあげる側か、してもらう側かは大きな問題ではなく、してあげたり、してもらったりした結果の二人の関係がどうなるかが問題なのです。

 

相手に何かをしてあげた結果については、いろいろ想像がつきます。

相手が本当には欲していない物やことを、押し付けであげたりしてあげたりすれば、二人の関係性が悪くなるでしょう。仮に、その場は上手く収まったとしても、それを繰り返すうちに、してあげる側は「相手は恩知らずだ」となるでしょうし、してもらう側は「めんどうくさい」となるでしょう。

なので、二人の関係性をよくするために相手に何かをしてあげるならば、相手が何を望んでいるかをよく考えなければなりません。

ただ、相手の必需を考えて何かをしてあげると、次の問題が起こってきます。相手はそれをしてもらって非常に嬉しいわけですから、またして欲しいと思うことでしょう。もう一度それをしてあげて喜ばれれば、さらにまたして欲しいと思うかもしれません。

基本的に、無尽蔵に物をあげたり何かをしてあげることはできません。

なので、相手にとって本当に嬉しいことをしてあげる場合は、それをしてあげる基準を作らなければならないことになります。

そして、その基準を作る時も、やはり相手との関係性の変化を基準にすべきです。その基準は相手との関係性をよくする基準でなければなりません。

これはお金を貸すことを想像すれば分かりやすいです。借金をしたり、お金を貸したがゆえに、仲が良かった友人との関係性が悪くなることは多いです。

お金は誰にとっても有り難いもののはずで、その絶対に喜ばれるものを用意してあげて、それなのに関係性が悪くなるのです。

なぜ、お金の貸し借りで二人の関係性が悪くなるかは、多くの人は経験的に分かっていると思います。自分で働いてお金を得るよりも、人からお金を借りた方が簡単だと錯覚してしまうからです。

 

お金を例にすると考えやすいのですが、これは相手に対する「サポート」全般にも実は当てはまることです。

誰に何らかのサポートする場合、相手の欲している物やことにフィットすればフィットするほど、お金と同じような錯覚に陥る可能性が高くなります。サポートしたがゆえに関係性が悪くなるという事態もあり得ます。

 

では、関係性を考えた上で、どういったサポートを相手にすべきなのか。

相手をサポートすることによって、相手の成長をうながし、お互いの自立を目指すべきです。

サポートする相手が、サポートによって一切成長できないならば、下手をするとサポートしたがゆえに相手の長期的な利益を損なってしまいます。サポートなしでは困ってしまうことになるのです。

どんなことでもいいから、相手が成長できるようなサポートをすべきです。

相手が自分のサポートに甘えるか、自分のサポートによって成長するかが、相手との関係性を良くするか悪くするかに繋がります。

ここで、慎重に聞いて欲しいです。

僕は相手に何をどれだけしてあげるかの実利的な問題ではないと主張しています。そして、してあげるか、してもらうかも問題ではないと言いました。

相手と自分の関係性がマイナスにならなければ、相手にいくら献身的につくしてもいいのです。逆にどれだけ実利的に人に頼ったとしても、二人の関係性がマイナスにならなけばいい。

僕が言う「相手をサポートすることによる、相手の成長とお互いの自立」は精神的なものです。つまり二人の関係性です。

 

ごちゃごちゃ書いてしまいましたが、要するに、サポートをしたりされたりする時にはお互いの精神的な自立が必要だ、ということです。

自立とは成長を目指すことです。サポートは精神的な成長がなければ成り立たない。

そして、逆に、精神的に自立のできていない二人がサポートをしたりされたりするならば、精神的な自立を必ず目指さなければならない、ということでもあります。

精神的に自立のできていない人間が他人をサポートしても長続きはしませんし、精神的に自立のできていない人間が誰かにサポートされても問題が起きてやなり長続きしないでしょう。

僕に言わせれば、逆に、自立するということはお互いの関係性を損なわずに助け合える存在になる、ということです。

 

 

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今は彼女と乳がんの話し合いをほとんどしていません。

話し合いをしていない隙に、僕の考えを今一度まとめておこうと思いました。自分の考えがまとまっていればいるほど、彼女に伝えやすくなるはずですから。

どうせ、彼女はこのブログを斜め読みするでしょうから、このブログ上で僕の考えをまとめても、押し付けることにはならないことでしょう・・・

 

僕は彼女が乳がんの告知を受けた当初から、彼女のサポートをする方法を一貫させてきたつもりです。

僕としては、まず情報を集めて、それらの情報をできるだけ客観的に吟味して、それを彼女に伝えました。

(ここでの「客観的に吟味」という言葉は非常に重いものだと自覚しています。例えば、ある医者の言っていることが信じられなかったとしても、少なくとも複数の別の医者がそれを否定しない限り、素人である僕が信じられないなどと思うべきではないと思います)

まず、彼女に情報自体とそれに伴った治療法の選択肢を伝える。

もちろん主治医の言うことも情報の一つです。そして、もしセカンドオピニオンを受けた場合に与えらえる可能性のある選択肢などが、ここで集められるべき情報です。

そして、それらの情報にさらに吟味を加えて、①おそらく多くの医者が一番医学的に有効だと言うであろう治療法を彼女に伝えました。

また、それとは別に、②もし僕が女性で乳がんになったとしたら選ぶであろう治療法を伝えました。

最後に、③彼女自身の考え方と、彼女が女性として心情的に選びたい治療法も尊重すると伝えました。

僕は、それらを全てよく彼女に考えて欲しかった。治療法の選択肢と言っても、数多くあるわけではないので、最終的には①、②、③のどれか一つに近い治療法を取ることになってしまう。

でも、①、②、③の三つをよく考えて、できれば、①:②:③を20%:30%:50%くらいの割合で考え合わせて欲しかった。そして結論を出して欲しかった。

自分の意思をまず一番重要なものとして、それに医学的なことや、周りの人の気持ちも加味した答えを出して欲しかったのです。

大切なことを全てをよく考えて、その上で自分の気持ちを最優先に、自分自身で治療法を決定して欲しかった。そう彼女に言いました。

 

どうもこの僕の注文が、彼女にとって荷が重いものになってしまったようでした。

単純に「あなたは自分のやって欲しい治療法を私に押し付けようとしている」というように、彼女は感じてしまったようでした。

僕は、たとえ相手の考えと自分の考えが違っていても、自分の考えを相手に伝えることは誠実なことだと思っています。それは相手に自分の考えを押し付けることとは別の問題だと思っています。

そして、乳がんの治療をどうするかは、彼女自身にとっての最重要な問題であると同時に、彼女の周りの人間にとっても大きな問題であると思います。

彼女が周りの人の押し付けによって治療法を決めてしまうのはおかしいと思いますが、逆に周りの人の意見にまったく耳を貸さないことも、あまりいいことだとは思えません。

だから僕は、彼女自身の意見と医者や専門家の意見と僕の意見を、だいたい50%と30%と20%くらいの割合で考えて、治療方法を決めて欲しかったのです。

こういう心情的なものを無理矢理数字で表すことは不謹慎かもしれませんが・・・

 

僕がもし女性で、ルミナールタイプの乳がんになったならば、タモキシフェンを飲むだろう。それとルミナールタイプの乳がんになった女性のほとんどはタモキシフェンを飲む。

その事実は彼女には伝えなければならないです。それを事実として伝えることは絶対に必要です。

乳がんが再発したらどうなるのか。そしてタモキシフェンを飲むとその再発率がどのくらい下げられるのか。それも彼女に必ず伝えなければならない情報です。

そういうことをよく考えた上で、なお彼女がタモキシフェンを飲むことを拒否するのならば、それは尊重します。僕も腹をくくります。

言い換えるならば、僕は彼女にどれくらいの気持ちの強さでタモキシフェンを飲みたくないのかをよく考えて欲しかった。自分の気持ちがどれだけ強いのかを、自分自身で考えて欲しかった。

それらをよく考えた上での決断ならば僕もそれを尊重して、次善策の情報を集めるつもりでした。

というか、すでにいろいろ考え始めていました。タモキシフェン20mgを5年間服用することに変わる対処方法です。

 

しかしやはり、そういった考え方が彼女の重荷になっていたことは事実です。

要するに、僕は彼女に自分自身の気持ちを合理的に処理しなさいと言い、彼女はそんなことはできないわよと言ったんだと思います。

そう取ればまったく彼女が正しいです。乳がん患者に対して、そう言い放つ僕の心は鬼のようです。

ですが、患者自身が合理的になれない分、周りの人間が合理的な治療法を検討することも必要なはずです。

 

いろいろ考えると、乳がん患者をサポートする側として僕が取っている態度と、乳がん患者自身の彼女の言い分は、どちらも間違っていないような気がしてきました。

そして、僕の考え方が彼女に受け入れられなかったとしても、それは問題がなくて、むしろ当たり前のことなのかもしれません。

多分、そこまでは問題ないはず。

でも、そこからお互いがお互いに無理に自分の考えを認めさせようとすると、状況が変わってしまう。

その辺りのボーダーラインが重要なのかもです。

 

僕の考えやアドバイスに彼女が怒りを示したとしても、アドバイスした僕がおかしいわけでも、怒り出した彼女がおかしいわけでもないのかもしれない。

それだけなのかもしれません。

僕の目的は彼女のサポートをすることであって、彼女に自分の考えを理解してもらうことが目的ではない。

それを忘れないようにしようと思います。

ましてや、彼女と喧嘩した愚痴を、毎日ネット上にアップして憂さ晴らしをするのが目的では、絶対にないのですからね・・・

 

 

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彼女は現在、乳がんの温存手術を終えて、術後の再発予防のための治療方法を悩んでいる状態です。

僕と彼女の治療方法選択の話し合いは難航しました。

話し合いが難航するさなか、彼女が引越しをすることを決めました。

僕にとって乳がんの治療方法を決めることはとても重要です。それを後回しにして、引っ越しのような大掛かりなことに打ち込むのは気が乗りませんでした。

ですが、とても大事なことだからこそ、いったん気晴らしをして、違う気持ちで向き合うことも必要なのではないかという考えにいたりました。

 

彼女の乳がんはルミナールタイプです。ルミナールタイプの乳がんが再発するのは5年~10年後のような長期戦になることが多いようです。

一週間や一か月という単位で焦って彼女の納得のできない治療方法に決めてしまった方が、長期的にみるとまずいことなのかもしれない。

タモキシフェンを飲むのならば、一般的には5年間飲みます。5年間という時間は、簡単に想像できないくらい長い期間です。

そのくらいの長い期間タモキシフェンを飲み続けて、それで乳がんの再発の可能性を彼女の場合は10%くらい下げるというのがホルモン療法です。ゆっくり時間をかけて、やるかどうかを考えることもありなのではないでしょうか。

 

そういった訳で、僕は今は彼女のサポートとして乳がんの情報を集めることをいたん止めています。そして彼女の住みたい地域の物件情報などを検索することが多くなりました。

良さげな物件を見つけると彼女に教えます。そうすると、これがまた面白いくらいに、乳がんの治療法選択の時と同じ構図の会話になってしまうのです。

どうしても僕のアドバイスが彼女に耳に入らない。

もはや、仮にまったく同じ物件だとしても、僕が彼女に教えた物件ならば気に入らないで、自分で見つけたら魅力的な物件に見えるのではないか、というレベルです・・・

彼女は人の話を聞かない。いや、聞かないというか、聞いているのだけれども、聞き入れない。

 

僕は別に自分がその物件を気に入ったから彼女にお勧めしているわけではないのです。僕が自分で住むのなら、もっと違う基準で物件を探します。

彼女の希望を聞いて、それになるべく沿える物件を探す。でも、完全に希望を満たす物件は値が張る。だからいろいろ妥協した物件を彼女に勧めてみる。そうすると、その妥協した部分が気に入らないと却下になる・・・

結局、その妥協部分を彼女が決めるわけで、妥協部分を僕が決めると却下なのです。

そ、それなら、最初からその妥協部分を、探す基準の中に入れて置いてもらわないと探せないですよね・・・

でも、それはできないのです。だって妥協する部分はその時の彼女の感性で決めているようなのですから。

探す基準はあってないようなものなのです・・・

 

と、このように、いつもこのブログは、彼氏が書く彼女の愚痴ブログになって行くのです。

このブログの本来のコンセプトは「乳がんの女性を支える彼氏が、闘病やそのサポートについて、どう感じるのか?どう行動をおこすべきなのか?」を、他の同じような境遇の人に読んでもらって参考にしてもらおう、というものです。

今のところ、彼女の法外な性格による法外な乳がんへの対し方によって僕が右往左往しているだけで、あまり参考になるブログにはなっていないような気がします・・・

僕は基本的にありのままを文章にしているだけです。それだけなのですが、一般的な感性の人から見ると、「そんな女性が本当にいるのか?この人の妄想の彼女なのでは?」と思われても仕方のないレベルだと思っています。

また、僕がブログを読んでもらうために、あらゆる話を「盛って」いるように思えてしまうかもしれません。

自分で読んでも「こんな女の人は他にいないかもな・・」と思ってしまうレベルです。

こういう部分は、僕の書く文章の彼女の性格や態度以外の部分のリアリティーで払拭するしかないと思っています。

精進して行こうと思っています。

 

最後に、彼女がなぜ僕がこのブログで彼女の愚痴(を通り越した悪口?)を書いていても、怒ったり、訂正を求めたりしないのかを話します。

普通の女性ならば、たとえ真実だとしても(むしろ真実だとしたら)、このようなブログで自分の良くない部分をあげつらわれることを嫌うとことでしょう。

ありがたいことに、このブログは僕にとっては出来過ぎなくらい、多くの人に読んでもらえています。

そして、彼女は何を思ったのか、このブログの存在を知人友人に教えているのです。URLを教えて「暇なら読んでね」と触れ回っているのです。

そのブログの中で、僕が(彼氏が)彼女の言動によって、のたうち回って「もう別れるかも!」と口走ったりしているのです。

普通の女性ならば、間違いなく検閲することでしょう。そこは書かないでね、とか。そんなことないから、ここは訂正してね、とか。

彼女はそういうことをまったくしないです。

なぜなのか?

なんと、彼女はこのブログを斜め読みしているのです。

適当にしか読んでいないのです。

「今日も文章が長いわねえ。ご苦労なことねえ。」と。

僕の感覚からすると、あり得ません。

自分の知り合いや友人の多くと、見知らぬ100人の単位の人に、自分の愚痴が日々拡散されていると思うと、発狂しそうです。

その自分に対する愚痴を斜め読みするのです。

凄まじい胆力としか言いようがないです。

見るのも嫌だから、一切読まない。というのなら、まだ理解できます。

適当に読んで、軽く流しているのです。信じられません。

 

まあ、こういう豪胆さは彼女の魅力の一つでもあります。

僕はこのブログを書かせてもらっていることを、素直に彼女に感謝しておくことにします。

しかし、本当に理解できません・・・

 

 

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