6月29日発売の週刊新潮に小林麻央さんについてのショッキングな記事が書いてあるということを、6月30日の深夜にネットで知りました。

散歩がてらコンビニによって立ち読みでもしようと思いました。コンビニで立ち読みをして、ショックを受けました。週刊新潮を買って帰って何度も読み返しました。

内容としては、ネット上で得られる麻央さんの治療歴に関する情報の他に、麻央さんが行った「民間療法」と言われているものが「気功でがんを治す」というものだったということです。

「気功」で乳がんを治せないことは言うまでもありません。

なので、記事全体としては「がんにまつわるエセ情報が氾濫していて、それに騙されて標準治療を受けずに亡くなる人がいる」という感じで構成されています。

それはいいです。いいですが、僕はそれに違和感を強く感じました。

 

この記事全体で随所に乳がんの標準治療が万能のように書かれている印象を受けました。それはストレートに書いてありませんが、エセ情報や詐欺的な情報と比することで、そのように僕は感じました。

そして、その流れから、標準治療を受けなかった麻央さんに問題があるように行間から読み取れるような記事になっていました。

詐欺的な治療法をする人間はもちろん問題がありますが、標準治療を受けなかったことが麻央さんだけに責任があるとすることも問題があると思います。

標準治療受けるメリットとデメリットが適切に説明されなかった可能性はないのでしょうか?

僕は彼女の乳がんの治療法の説明を主治医から聞いて、心からその主治医が説明する標準治療を彼女に受けてもらいたくなくなった時期があります。

そのような状態におちいって、実際に標準治療から飛び出して行ったのが麻央さんで、苦渋の選択として嫌だけれど最低限度受け入れたのが僕の彼女なのです。

大きな違いはないはずです。

(前回のブログの結論として、僕は「患者の側から医師にアプローチをして、患者・医師間の信頼関係が築けるかもしれない」としました。今回のブログの内容は、それと矛盾するように見えるかもしれません。ですが、医師個人との信頼関係の問題と、乳がんの標準治療全体の話では問題点が違います。僕には麻央さんの問題は標準治療という枠組み全体の問題に見えます。そして、週刊新潮の記事も標準治療を受けるか受けないかの問題として取り扱っていました。なので、僕としては、前回のブログの内容と麻央さんの話は矛盾はしません。ご理解いただければ幸いです。)

 

現在の乳がんの標準治療は良い方向には向かっていますが、万能ではないです。

週刊新潮の記事を読むと万能のように読み取れます。万能なものを飛び出したバカがいたという記事の書き方は納得ができません。

麻央さんが「気功でがんを治す」治療を受けていた期間は無治療だということになります。

標準治療でも無治療での生存率を計算し、治療を行った場合の生存率の上昇率と副作用のバランスが良ければ、その治療を行います。バランスが悪ければ無治療が推奨される場合もあります。

ただ、標準治療には治療法がいくつも選択肢があるので、そのどれかをやった方が生存率が高まる場合が多いだけです。

以上のことから

標準治療を受けない→乳がんが確実に進行する 標準治療を受ける→乳がんが治る

というような単純な標準治療の説明の仕方は間違っています。

残念ながら、麻央さんが標準治療を受けても、助からなかった可能性もあるのです。麻央さんが標準治療を受けなくても、助かった可能性もあるのです。そのどちらの生存率が確率として高いかの問題です。

極端に誇張された標準治療の良い部分だけを世間に広めることこそ、実際には標準治療に失望して標準治療を受けない人を増やす原因になるかもしれません。

 

 

標準治療では生存率が推測され、無治療でも生存率があります。その差があるだけです。それは確率的な差です。

そして、標準治療には副作用がありますが、無治療には副作用がありません。乳がんが進行するデメリットはどちらにもあります。

それらすべてのことを考え合わせて、乳がんの診断を受けた女性は、標準治療を受けることが無難であるから標準治療を受けるのです。

誰だって、治療は受けたくないはずです。そして、その受けたくない治療を受けても100%確実に治るとは言えないのです。

標準治療を受けない選択肢が頭をよぎってしまう方が、むしろ多いのではないかとすら思います。

副作用があって嫌だけれども、乳がんが治る確証はないけれども、それでも標準治療を受けなければならないのです。

標準治療を乳がん患者に納得して受けてもらうよう説明することが最重要なのではないでしょうか。それはとても難しいことです。

そうするためには、現在の標準治療が万能でないことを医師が認めることも必要なはずです。医師が選んだ治療法には副作用などのデメリットあること認めなければならないはずです。

副作用や心理的なデメリットの話を大してせずに、「この治療が標準ですから」と一方的に押し付けられた治療法を、一体どの乳がん患者がやりたくなるのでしょうか?

 

 

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僕は小林麻央さんの訃報を聞き、麻央さんがどのような治療歴をたどったのかを調べました。

そして、麻央さんの治療歴について、なるべく「分析」という形ではなく、同じ乳がん患者(の彼氏)の目線から感じたことを書いてみました。(「小林麻央さんの乳がん治療歴について」「小林麻央さんの乳がん治療歴について2」)

乳がんの状態やそれに対する医師の診断などは詳しく分かりませんでしたが、それがどうだったにしろ「医師と信頼関係が築けなかったのではないか」ということを僕は感じました。

それは、彼女と僕が乳がんの治療で強く味わったことなので、そのせいでそう感じてしまったのかもしれません。

 

仕事の同僚やプライベートの友人、ご近所さんなど、どんな人間関係においても信頼関係は大きいです。基本的に信頼関係がなければお互いに何もできません。

相手がいつ裏切るか分からない状態だったり、厚意でしてあげたことが相手に悪意に取られてしまう状態であれば、お互いが持っている有用な能力を一切出せません。お互いに委縮します。

これは、乳がんの治療において、医師と患者の関係にも当てはまると思います。

医師が提案する治療法が患者の希望と違う場合、患者は納得できずに、その医師のことを不審に思うかもしれません。

医師の側からみても、自分の体が心配で必死に医師に注文を付けている患者が、ただ文句を言ってくるクレーマー患者に見えてくる場合もあるのかもしれません。

そして乳がんの治療では、これらのことが起こる可能性が原理的に存在していると僕は思っています。なぜなら、今の乳がんの治療に100%正解と言える方法はなく、ほとんどの治療法は確率が高い治療法というだけだからです。

「1%でも可能性の高い治療法をやって欲しい」と強く願う患者に対して、「1%程度の可能性を高めるためだけに大きな副作用が発生してしまうので、その治療法は止めましょう」と説明することは、医師と患者の信頼関係なしには成立しないのです。

その逆もしかりです。僕の彼女はあまり治療をやりたがっていなかったのに、次々にあらゆる治療法をやるように勧められて、もはや主治医を信頼できない状態になってしまいました。

つまり、医師と患者の信頼関係が築けていないと、治療法の選択肢がどんどん狭まって、ステレオタイプな型にはまった治療以外不可能ということになります。

患者は不満を持ち、医師は手札を失います。

 

僕は乳がんの治療について、どうすべきかと知人などに質問を受けたならば、「まずは信頼できる医院、信頼できる医師を探すべきだ」とアドバイスするつもりでした。

そして、信頼できる医院、信頼できる医師の基準なども、僕なりにいろいろ考えていました。

ですが、前回のブログ「医師を信頼するために」の中で紹介したSさんの話を聞いてから、考え方が大きく変わりました。

彼女の親友のSさんの性格は、彼女から聞く限り本当に優しい人です。人のために尽くすタイプの人です。

Sさんは看護師の仕事をしていますが、一時期看護師が辛くなり、仕事を離れていた時期があるらしいです。医療現場にいることが、精神的に辛くなったそうです。

そのような人ならば、医師が患者に対してどう接しているかということを、誰よりも良く見て、誰よりも多くのことを知っているのではないでしょうか。

 

Sさんの話を要約すると、大多数の医師は患者の態度によって機械的にも熱心にもなり得る、ということでした。

まあ、これは僕が少し拡大解釈している部分もあるかもしれません。

僕は、熱心な医師と機械的に仕事をこなすだけの医師と、二つに分かれるものだと思っていました。

数えきれないくらいの診察や治療をして、そられに対する医師の姿勢は凝り固まって動かないものだと思っていました。しかし違うらしいです。

医師の側も患者の要求に答えようとする気持ちがある場合が多数なのだと。(彼女の主治医がこの大多数に当てはまったのかは不明ですが。)

でも、そういう医師の誠意ある態度を患者が引き出せない場合も多いのだと。

これは僕にとって、非常に大きな事実です。

患者から見れば、自分や家族に対する医師の態度しか見れません。そして、僕は彼女への医師の態度と、僕の母への医師の態度を合計すると、それなりに多く見ました。それを元に、がん医療での医師と患者の関係を推測しました。

ですが、Sさんは医師と患者との関係を見てきた数が僕とは比べ物にならないことは言うに及ばず、同じ医師が違う患者にどう接しているかを見てきているのです。同じ医師が違う患者に対してどう接するかを、多くの医師の場合で見ているはずです。

これは看護師のような人にしか絶対にできない経験です。

その結論が「医師に対する患者の接し方次第で、医師の患者に対する接し方も変わる」ということなのです。

このことは、僕のわずかな経験や屁理屈をすっ飛ばして、まず大前提にしたいと思います。

 

「医師に対する患者の接し方次第で、医師の患者に対する接し方も変わる」ということを前提にすると、少し怖い推測も生まれます。

患者次第で医師の態度が変わるならば、患者の態度次第でどんな医師でもお互いの信頼を築けない可能性が出てきます。

患者次第では「信頼できる医師を探す」ということは、無駄足だという可能性も生じてくるのです。

まあ、これは極論ですので、あまり考えなくてもいいかもしれません。

取りあえずは、「信頼できる医師や病院を探す」ことと、「患者側から医師との信頼関係を築こうとする」ことは、どちらも間違っていないということなのでしょう。

 

 

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彼女には中学生の時の同級生で、看護師をしている親友Sさんがいます。

Sさんは、今は遠く離れた土地で暮らしているのですが、彼女は電話やメールなどで今でも連絡を取り合っています。

そして、昨日そのSさんから彼女に電話あり、乳がんの話の流れの中で、彼女が僕と電話を変わってくれて、僕もSさんとお話をさせてもらいました。

Sさんはこのブログを読んで下さっていて、前回のこのブログの内容について、看護師の視点でいろいろなことを教えてくれました。

 

前回のブログ「信頼できない乳がん医師と信頼しない乳がん患者」での僕の結論は、乳がんの治療は確率的に行うもので、その確率に対する思いのズレから、医師と患者は信頼関係が築けない場合がある、というものです。

「乳がん治療で医師と患者が信頼関係を築けないことがある」という結論は、注意喚起としては成り立つと思うのですが、じゃあどうするの?ということを、僕はこのブログで書くかどうかを今まで悩んでいました。

 

彼女と僕は、乳がんの手術をしてもらった今の主治医と、まったくと言っていいほど信頼関係を築けませんでした。

乳がんの治療を行っている最中に、主治医が信じられなくなることは本当に辛かったです。

そういう辛い思いをしたくないのなら医師を信じるべきだ、となるかもしれませんが、こちらの意見を聞いてくれないのに、無条件で主治医を信じることは彼女と僕には無理でした。

そういった訳で、僕には彼女の乳がん治療を通して、主治医を信頼できなかった理由や、信頼できなかった辛さは語ることができます。

ですが、実際に上手く行かなかった彼女と僕の経験から、その反面教師的な意味だけで、「医師を信頼する方法」を方法論のように語っていいのだろうか?と思い、今までブログのテーマにはしませんでした。

 

そう思っていたところに、冒頭で紹介したSさんが、看護師から見た医師と患者の関係についていろいろ教えてくれました。

その内容が僕の考えていたことと一致する部分もいくつかあったので、今回のブログのテーマとして「医師を信頼するために」ということを書いてみようと思った次第です。

 

まずSさんが言っていたことは、大病院はとにかく忙しい、ということです。患者数が多いのです。

なので、大病院に務める医師はどうしても患者に対して流れ作業的になってしまう可能性がある、と言っていました。

非常に多い患者を、とにかくこなしていかなければならないのです。

これは経営的な視点からみると当然なのかもしれません。多くの患者が集まる病院であるからこそ、高価で最新の医療機器などを導入できるのです。手術経験の多い医師に手術をしてもらえるのです。

手術数や病床数、最新の医療機器の有無などはその病院を評価する材料にされています。ですが、そういったものが多く揃っている病院は、患者数も必ず多いわけです。患者が少なければ、高価な医療機器を入れるのは無理です。

大病院は患者数が多いから大病院なのです。手術経験の多い医師がいたり、最新機器があったりするから大病院なわけではないです。

ひとつの病院で患者数が多ければ多いほど、患者一人当たりの検査や診察、治療の時間は相対的に減ってしまいます。もしくは、診察と診察の間の日数や、手術待ちの日数が増えてしまいます。これは患者のデメリットです。

医師の側から見ても、患者が多ければ多いほど、患者一人ひとりに対するケアは減ってしまうことも仕方がないと言えます。大きく間隔が空いてしか会わない患者の顔は忘れるかもしれません。

(大病院について起こり得るデメリットは、過去に何度もこのブログで書かせてもらっています。「大病院のデメリット」)

 

ここまでは、僕の考えるような大病院のデメリットに、Sさんは概ね同意してくれていました。

そして、これに付け加える形で、とても興味深いことを看護師の視点から教えてくれました。

「務める病院に関係なく親身に診察する医師もいるし、逆にどんな環境にあっても流れ作業的に診察する医師もいる。でも、大病院では流れ作業的な診察になってしまう医師が多くなってしまう。それは患者が多く、次々に診察をこなさなければならないから、自然と医師がそうなってしまうから。そういう忙しいから流れ作業的になる医師は、患者から何も言わずに話を聞くだけだと、さらにどんどん流れ作業的になってしまう。そうではなく、こちらから意見や希望を言ったり、分からないことをしっかりと聞いたりすれば、意外と親切に対応してくれる医師も多い。

ということでした。

医師だって仕事で診察をしているわけで、慈善事業ではないです。なので、患者に説明をして患者が何も質問をしてこなければ終わりにしたいはずです。

また、どんなに親切な医師であったとしても、患者が何も言わなければ、患者が何を求め何を心配しているのが分からないので、それ以上のことを説明するのは無理です。なので、やはり説明は終わりになります。

つまり、大病院などの患者数が多い忙しい病院では、患者から医師に要望や質問などのアプローチをしなければ、自動的に多くの医師は流れ作業体制の診察に入ってしまう可能性がある、ということなのです。

このことは、乳がん治療において患者と医師が信頼関係を築く上での大きなヒントになりそうです。

 

 

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