ここ最近の自分の書いたブログを簡単に読み返してみました。

ひどかったです・・・

愚痴ブログが続いた挙句にマリッジブルーブログ・・・

も、申し訳ない・・・

僕としてはいいのです。気持ち的に辛くなったり、思うところができたりした時に、その気持ちを文章に書き出すと、とても気が晴れるのです。日記をつけると心が安定するものなのです。

ですが、それを僕の想像を超えたくらいの多くの人に読んでえるとなると、非常に申し訳なく感じます。愚痴を聞いてもらってすみません。

一応、乳がんになった女性の彼氏の心情を書くということも、このブログの意義の一つになるのかもしれません。一応、乳がんになった女性と、付き合っている男性が結婚するらしい?と、読んでもらう人の興味は引くのかもしれません。

ですが、僕と彼女の喧嘩のほとんどは乳がんとは関係ないです。結婚するしないの問題も、ほぼ乳がんは関係ないです。重ね重ね申し訳ないです。

 

彼女は乳がんをまったく恐れずに、いい意味で自分の考え方を貫いています。それはとても清々しいです。

ただ、それは一歩間違えれば危険な蛮勇になってしまいます。そのボーダーラインを僕が見定めればいいと思っています。

そういうブログを目指していたのです。

どこで間違ってしまったのでしょうか・・・

 

僕は彼女の検査や診察、治療に付き合って、それをレポートするブログを書こうと想定していました。

そして、その際には医者が教えてくれないことを中心にブログに書こうと思っていました。

当たり前のことですが、医者が教えてくれないことはブログを読む人にとって有益なはずです。医者が教えてくれることは、医者に聞けばいいからです。

医者が患者に教えてくれないことの筆頭は、医者同士の間でも意見が分かれることです。

他の医者が言ったことは否定しない。これが昔からある日本の風習のように、暗黙の了解になってます。

それが高じて、「意見が分かれる」どころか、明らかな医療ミスでは?というレベルのことですら、ある医者が他の医者の指摘をすることはなかったのです。

少なくても、今まではそうでした。しかし、最近の医療事情、特にここ十年くらいのがん医療事情は大きく変わりオープンになったとも言われています。

また、現在はネットでも医療の情報が手に入ります。間違った治療は間違っていると、ネットで分かってしまいます。

それに伴って、今までタブーであった医療自体に否定的なことを書く本も多く出版されています。

現在では医者が患者に言いたくない事、教えてくれないことでも、それを知りえる方法があるのです。

 

僕の彼女の主治医は、彼女の術後の再発予防に抗がん剤治療を勧めてきました。僕は感覚的に、この抗がん剤治療は必要があるのかどうか、強く疑問に思いました。

しかし、素人の僕がこの抗がん剤治療が必要ないと決めつけられるわけがありません。

そこで、あらゆる手段によって、この抗がん剤治療が妥当なのかを調べました。結果はまったく必要のないもの、ということになりました。

 

他の専門家に別の意見を求めることは必要です。セカンドオピニオンです。

ですが、セカンドオピニオンも条件を考えなければ、まったく意味のないセカンドオピニオンになってしまう可能性があります。

「他の医者が言ったことは否定しない。」この悪しき風習がいまだに残っている範囲のセカンドオピニオンを受けてしまう可能性は依然としてあります。その場合、新しい医学的な情報や治療法の知識が入ってくることはないです。

 

ネットや本やセカンドオピニオンで集める情報は、医学的な情報ではなくて、治療の情報です。専門的な知識がなくても、それでも治療に対して有益な情報はたくさんあるはずです。

そういうものを少しずつでもこのブログに残して行こうと思っています。

た、たまには、愚痴ブログになってしまうかもですが・・・

 

 

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あることに気付きました。ブログの題名の通りです。

多分、僕は今、マリッジブルーという状態になっているのですね。

ネットで調べてみましたが、今の僕はマリッジブルーという状態と完全に一致しています・・・

 

僕はどちらかというといつもブルーなので、若干それが「マリッジ」のせいなのかどうか疑問ですが、まあそうなのでしょう。

彼女の乳がんについての僕は態度は一貫させてきました。なので、乳がんのことについては迷いはなく、心配にはなりますが、「ブルー」にはなりません。

乳がんの治療について彼女と意見が分かれ、なかなか話し合いが進みませんでした。それについて「ブルー」になったかと言えば、なっているような気がしますが、少し違うような気もします。

乳がんの治療は彼女の責任なのです。当たり前です。それを忘れるくらい必死になってしまいましたが、最後は彼女自身が決めることですし、それを僕が否定するつもりはまったくなかったのです。

僕はどんなに心配になってしまったとしても、治療方針について最後は彼女の意思を尊重するつもりでした。それを彼女に「あなたは私にタモキシフェンを飲ませたがっているんでしょ」と受け取られて、話し合いがこじれていたのです。

彼女に僕のサポートの方針が分かってもらえなくて嫌な気持ちになりましたが、やはり「ブルー」にはなっていませんでした。むしろ怒りに近かったと思います。「誰がなんと言った、とかではなくて、自分の体のことをちゃんと考えろ!」、と。

やはり、「ブルー」の原因は「マリッジ」しかないようです・・・

何と言うか、通過儀礼のようなものなのでしょうか・・・

 

僕は考えることが好きです。自分自身の心理もずっと考え続けて、「今まで自分でも気づいていなかったけれども、僕は深層心理で~~こんな風に思っていたんだ!」などと言ったりするのが好きです。

しかし、今のこの状態の僕の悩みは、僕だけの心の中を見続けても解決には至らないでしょう。

「結婚は共同作業だ」と、僕がどんなに確信したとしても、他の人にとっては違うかもしれません。

彼女の両親はそういう考えではありませんでした。

彼女の両親が結婚した時代では、結婚は「嫁をもらう」ものだったのかもしれません。だから彼女と僕に、とにかく結婚して僕の実家で僕の両親と同居すればいい、と言うのでしょう。

それが彼女の両親の時代の一番まっとうな結婚の仕方だったのかもしれないです。

そして、彼女は両親の希望を叶えることを結婚の大義としています。まず一番に親を安心させることを考えているようです。

結婚で親を安心させることは重要なことですが、それが全てになったり、それが一番になったりしてはダメだと、僕は思うのですが・・・

もしかしたら、「結婚で親を安心させることを一番に考える」ことは、彼女の両親の時代の結婚での最も重要なことであったのかもしれない。そして、彼女はそれをもかなえようとしているのかもしれない・・・

彼女の両親の結婚に対する考え方を僕が否定することはできない。そして、その両親の影響を彼女が強く受けているのならば、僕も彼女の両親の結婚に対する考え方をある程度引き受ける必要があるのかもしれない。

 

こ、このように考えて行くと、何か正しいことなのか、少しずつ分からなくなって行きますね・・・

こ、これはブルーにもなりますね。

 

せっかく、乳がんと引っ越しと結婚、と重要事項が山積みなのだから、こういう時にこそ、気分転換というなの現実逃避をするべきかもです。

取り合えず、結婚のことを置いておいて、乳がんについての情報収集に励んでみた方がいいのかも。

 

例えば、タモキシフェンの副作用については、個人差が大きいと言われています。でも、個人差が大きいことと、副作用に傾向があるかないかは関係ないはずです。

タモキシフェンの副作用について調べられることは多いはず。それを調べれば、彼女のタモキシフェンに対する考え方も変わるかもしれません。

こういう時にこそ、乳がんについて検索したり、本を読んでみたりすることにします。

(追記・「マリッジブルー」というのは、結婚が決まった人に対する言葉なのでしょうか?もしかしたら、僕のような状態の人間に当てはめる言葉ではなかったのかも。だとしたら、大変恥ずかしいですね・・。後からネットで調べても婚約後のことを指すのか微妙なところでした・・。)

 

 

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昨日の夜、乳がんと結婚について一人で考えていました。

僕と彼女はゴールデンウィークが始まると同時に、一緒に彼女の実家へ行きました。そして、僕だけ一足先に東京へ帰ってきています。

彼女の実家で、彼女の両親から結婚についていろいろ言っていただきました。

なので結婚について今いろいろと考えています。以前から少しずつは考えていたのですが・・

 

彼女の乳がんは約半年前に発覚しました。それからいろいあったのですが、彼女が乳がんになったことと、結婚するしないは直接的にはまったく関係ないです。

僕と彼女は乳がんに対しての考え方がかなり違います。なので、正直に言うと、僕がいなかったら彼女が自分でしっかりと乳がんのケアをできるか心配です。

そういう意味では結婚して一生彼女のそばにいたいですが、それを結婚の理由にすることは良くないような気がします。結婚は同情でするものではないです。

 

結婚できないかもと思った理由は、乳がんと直接的には関係ありませんが、間接的には大きく関係があります。

彼女が乳がんになって、そして彼女と一緒に乳がんの治療をして行く中で、彼女とは建設的な話し合いがまったくできないな、と感じてしまったのです。

以前から喧嘩をした時などに、そう感じる場合がありました。ですが、そういう場合、喧嘩の理由は些細なものです。どちらでもいいことです。

なので、僕が謝って済むのなら謝りました。喧嘩の理由がそれなりに大切なことで、謝る謝らないの問題ではない場合は僕はしつこく食い下がり、彼女が諦めていました。

こういうやり取りが、乳がんの治療方針を二人で話し合った時にも出てきてしまったのです。

彼女の乳がんの治療方針の話し合いという、僕にとっておそらく一生で最も重要である決断の場で、彼女と僕は建設的な話し合いが出来ずに喧嘩してしまったのです。

この状態がこれからも変わらないのならば、これから先たとえ結婚しようとも(むしろ結婚した方が)彼女と重要なことの話し合いが一切できないです。

 

どうも彼女が取る行動パターンの中に「話し合う」というカテゴリーが存在しないような気がします・・・

僕が彼女の意見に従うか、彼女が僕の意見に従うか。彼女の頭の中では、その二つの選択肢しか基本的に存在していないように見えます。

相手の意見に対して「納得する」という選択肢がない。「嫌だけど我慢してそうする」ことしかできないのです。

僕の立場に例えると、これだと僕が彼女の提案に沿って行うことは全て嫌々やっていることになってしまうのですが・・・そんな風に彼女は僕のことを思っているのでしょうか・・・

僕は彼女のために何かをやっている時は充実しています。彼女のためにならないことは、彼女が望んでも基本的にやりません。嫌々やることなど、ほとんどないです。

彼女の意見はしっかり聞いて、吟味して、そして納得して採用させてもらっています。

か、彼女は違うんでしょうか・・・

 

まあ、話し合いが上手く行かずに、しょっちゅう喧嘩している夫婦などはごまんといると思います。

「建設的な話し合いが出来なければ結婚はできない」としてしまうと、今実際に結婚している夫婦でも、離婚しなければならなくなる夫婦がたくさん出てしまうのかも。

僕が気にし過ぎているのかもしれません。そんなことを気にしていたら、一生結婚などできないのかな?

でも、結婚するということは、共同作業以外の何物でもないはずです。これは絶対に間違いない。少なくても現在の日本ではそのはず。

話し合いがなされない共同作業とは、これいかに。

 

乳がんの治療法についての話し合いは、まだ終わっていません。一旦、引っ越しを優先させて話し合いを中断している状態です。

引っ越しは、ゴールデンウィークが明けると同時に、強行軍で全てを決めて引っ越しし終える予定です。

そしてそれに続いて、5月中には乳がんの治療法も決める予定です。一応期限は区切っていますが、無理に決めることは避けるつもりです。

これまでは彼女と建設的な話し合いができていなかったのですが、まだ、話し合いが出来ずに終わるかどうかは分からないのです。まだ、そう決めつけるのは早いのかもしれません。

 

 

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