サポートする愛 サポートされる愛2
自立した人間でないと、誰かに対して本質的なサポートはできません。
相手に何かをしてあげることによって相手との関係性がどうなるのかを理解していて、その関係性が発展するように考えらえる人でないと、誰かを真にサポートすることは難しいです。
相手のサポートをして、その相手との関係性が継続的に発展していくためには、相手が成長するためのサポートをするしかないです。
すべてが相手の成長のためでなくても、少なくともある部分では相手の成長に関わるサポートをしなければ、原理的にそのサポートを続けることが難しいのです。
逆に言えば、人にとって継続的で真に自分のためになることは、自分自身の成長以外にないということです。それを手伝ってあげることがサポートです。
それは技術的、実利的な成長でなくてもよく、精神的な成長でも成り立ちます。むしろ精神的な成長が一番重要です。
一番重要な精神的な成長をサポートせず、他の物や手間だけを相手に差し出すサポートをしていれば、いずれそのサポートは続かなくなり、終わります。
僕は、人を愛するということは、この真のサポートをすることだと思います。
知っている人や周りにいる人の全てに真のサポートをすることはできません。知っている人や周りの人を全て愛せるわけではないということです。
愛していない人をサポートすることもあります。しかしそれは一時的なサポートのはずです。一時的にすら続かなくなって、そのサポートは終わることが多いはずです。
人を愛するということは、その人の性格や能力を深く考えて興味を持ち、その人の人生でその人の一番ためになるその人自身の成長を心から願い、そのためのサポートすることなのではないでしょうか。
愛する人と自分は性格も能力も違うはずです。その性格も能力も違う人の成長をサポートしようとするならば、その人の性格と能力に合わせて、自分を広げる必要があります。
つまり、自分も成長しなければならないのです。
このことは、一般的によくあることです。
子供に対して一番良い教育は親がそれに参加することです。一緒に学ぶこと以上に効果的な教育はないと思います。
自分ができることを人に教える場合でも、良い教師ほど生徒と一緒に学んでいるはずです。つまり生徒目線です。
自分が努力していないのに、人に努力しろと言っても、それは意味のない言葉であることは誰でも知っています。
愛がなければ人を成長させることはできませんし、人が成長する時は、必ず誰かの愛を受けていると思います。
そして愛している方も、愛することによって成長しています。
子供は何もしなくても、基本的に成長して行きます。だから、子供は存在するだけで、基本的に愛を受けやすい存在なのです。
逆に、子供の成長を願わない親は、その子供を深く愛していないと言い換えられるかもしれません。
子供は多くのことに興味があり、その興味は自分の成長につながっています。たとえそれが大人の望まぬことであっても、子供は少しでも自分自身で何かを成し遂げようとする場合が多い。早く大人の仲間入りをしたく思っているのです。
だから、子供は愛されやすい。
でも愛されやすいだけです。必ず愛されるわけではない。しかし、子供が親に愛されている状態を思い浮かれべば、その子供の成長も同時に思い浮かべられるのではないでしょうか。
サポートされる側が、何をサポートされるのか。そのサポートされる内容について、自分ではどう思っているのか。そのサポートを心から望んでいるのか。そしてそのサポートで得られるものが、自分にどう影響を与えるのか。
それがはっきり見えていればいるほど、サポートを強く望んでいるはずで、サポートされることによって得るものが大きくなり、サポートする側とサポートされる側の関係性が良くなる。
そして、サポートするかサポートされるかは問題ではない。する側とされる側は表裏一体です。だから
サポートする側が、何をサポートするのか。そのサポートする内容について相手はどう思っているのか。そのサポートを相手が心から望んでいるのか。そしてそのサポートで得られるものが相手と自分にどう影響を与えるのか。
それがはっきり見えていればいるほど、サポートする側も、サポートすることによって得るものが大きくなる。意味のある関係性が得られる。
自分の趣味を本気で学びたくなった時を想像して下さい。その趣味の成長をサポートしてくれる人のことを師匠だと感じるはずです。そこでは、師匠と弟子の特別な関係性が生まれるはずです。
仕事などを事務的に教えてくれることもサポートのはずです。しかしそこでは師匠と弟子の関係性までは生まれないかもしれません。
病院で患者が看護師にサポートされても師弟関係にはなりません。子供が親に衣食住を与えられても師弟関係にはなりません。
これらのことはお金が関わるか関わらないかによりません。お金の問題でも、かかる時間の問題でもありません。
サポートを受ける側の、サポートを受ける内容によって、特別な師弟関係という関係性が生まれているのです。
サポートする側、される側の、そのサポート内容に対する気持ちの大きさの問題です。
場合によっては仕事でも師弟関係が生まれるかもしれません。それは必ず仕事に対して強い気持ちを持っている場合だと思います。
サポートする側とされる側の関係性は、そのサポート内容に対する二人の興味によって決まるのです。
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ディスカッション
コメント一覧
こんにちは。
いつもの通りすがりです。
彼氏さんのいっていることは
よくわかります。
お互いに成長できれば理想です。
ただ、現実はうまくいかないこと
のほうが多いかも。
(彼氏さんもお気付きでしょうが、、、)
あまり理詰めだと、彼女さんも
「うああ(^◇^;)」
と思うかも知れません。
明日からGWです。
ブログをしばらくお休みされては
いかがでしょう。
余計なお世話ですが
いま彼氏さんに必要なのは
ガンのことを忘れて
思いっきり、リフレッシュする
ことだと思います。
彼女は手術も終わり
再発予防の治療は一分一秒を
急ぐものではありません。
ただ、ガンとの付き合いは
一生続きます。
少し肩の力を抜いて
リラックスしないと
そのうち息切れしそうで心配です。
いつも書き込みありがとうございます。
今日のブログで書いたようなことは、僕の考えていることで、それを彼女に言ったりやって欲しがったりすることとは別にしているつもりです。
口で言わずに、僕の態度で二人の協力関係を作る方向にもっていければ良いとは思いっていますが。
理想は理想で、あってもいいんじゃないかな、と。
ゴールデンウィークなのですが、実は彼女の実家におじゃますることになってます。
そして、すでにブログを予約投稿しちゃいました・・
ま、まあ、楽しんでくるつもりです。
通りすがりさんも、楽しいゴールデンウィークになると良いですね。
ありがとうございます。
私は毎日お休みですが
夫がお休み取れる日は
一緒に遊びまわるつもりです。
彼氏さんも、素敵なGWを
お過ごしください!
o(^_^)o
旦那さんのお休みが上手く取れるといいですね。
良いゴールデンウイークをお過ごし下さい。
あなたの言いたいことはわかりました。
ところで、彼女はあなたのサポートを望んでいるのでしょうか?彼女が何もしないとありましたが、あなたの過剰なサポートによって何もしないのではないですか?
>自立した人間でないと、誰かに対して本質的なサポートはできません。
とありますがあなたのサポートにより彼女が自立できないのではないでしょうか?お互いにサポートする、サポートされるというのがあなたの理想だと思いますが。
彼女さんは生きようと思っていますか?詳しい病理結果がわからないので再発の可能性はわかりませんが、あなたのためにがんばろうという意思を持っていますか?その気持ちだけでもその後のことはかなり変わってきます。
そちらの方が心配です。
書き込みありがとうございます。
今出先なので、数日以内に返信致します。
遅くなりましたが、返信します。
>あなたの過剰なサポートによって何もしないのではないですか?
>あなたのサポートにより彼女が自立できないのではないでしょうか?
僕のサポートによって、彼女が自分でやるべきことをやれなくなっている部分は確実にあります。
ただ、僕がサポートしなかった場合に、彼女が自分でやるべきことをやり切れずに、その結果危険にさらされる部分も確実にあります。
そのどちらが大きいかを考えた結果、僕はある程度強引にサポートしている状態になってしまっています。
大まかに説明します。彼女はタモキシフェンを飲むことをためらっていて、医者の説明を聞いて薬を処方されただけだったならば、おそらくすぐに飲まなくなります。飲みたくないことと、毎日飲むことが面倒くさいからです。
彼女の乳がんはステージⅠのルミナールA、その場合無治療だと10年間の転移再発率は20%~25%くらい。タモキシフェンを5年飲むと、それを10%くらいまで下げることができます。
このような条件であっても、彼女の過去の大病の時の振舞いを考えると、タモキシフェンを「さぼる」可能性が高いです。彼女自身もそうなるだろうと自分で認めています。
>彼女さんは生きようと思っていますか?
>あなたのためにがんばろうという意思を持っていますか?
これに対して僕の決めつけで答えることは、彼女に失礼だと思います。
ただ「生きようと思っているか」に対しては「私は死ぬはずはない、死ぬとは思えない」というような感覚を持っているようなこと言っていた時がありました。
多くのかん患者が「まさか私ががんになるなんて」という感覚を持つらしいです。これに近いのではないかと思います。
子供(という表現を借りて)の自立を心から願っている親は、子供の危険の度合いに細心の注意を払っているはずです。
助けるべきラインを常に見定めようとしているのです。本当に危険な時に助けないことは自立を促すことの真逆になってしまいかねません。