僕は彼女が乳がんと診断されてから、常に彼女治療方針に口を出してきました。
転院も勧めました。医師の診断に対し常に懐疑的な気持ちを持ち、その時点の主治医の治療方針以外の情報も集めようとしました。セカンドオピニオンにも行きました。
がんの治療は彼女と僕の一生にとっての重大事だと思ったからそうしました。また、がんの治療は医師や病院の方針によって大きく違ってしまうという話を聞いたことがあったからでもあります。
しかし、今までの彼女の乳がんの治療の経過を思い出してみて、これまでの僕の取った態度はこれで良かったのか、と思えてきます。
以前に彼女が言っていたように、僕の気持ちを彼女に押し付けているだけではないのか。
彼女の乳がんの治療方針は彼女自身が決めるべきですが、僕がここまで口を出したら、ほとんど僕が決めているのと同じことなのではないのか・・・
先日の彼女の主治医の誘導的な治療方針の説明を聞いて、僕は非常に腹を立てました。しかし、よく考えてみると、僕が今まで彼女の治療方針に対して口を出していたことは、この医師がやったことと本質的には同じだったのではないのかと不安になりました。
僕としては、彼女の体のことを一番に考えていた。だから彼女が自分の体のことを第一に考えないような発言をしたら、それを怒るようなことをしました。
彼女の主治医は、いわゆる大人の事情によって、不自然な治療方針の説明の仕方をしてきました。彼女の体のことを一番に考えていない。だから、僕は彼女の主治医に対して怒りを覚えた。
僕だけが彼女の体のことを考えている。
ふと気づくと、そういった非常に危険で利己的な考え方に、僕自身が陥っていることに気付きました。
こういう、他人の健康に対してその本人以上に注意を払っていいのは、おそらく親が自分の小さい子供に対してだけです。
それ以外の場合は、そういった気持ちのほとんどは上手く行きません。経験的にも原理的にもそれを僕は知っていたはずなのですが、いつもすぐに忘れてしまっています。
彼女が健康であって、一番うれしいのは僕なのです。僕が自分の願望(欲望)として、彼女の健康を彼女自身以上に願っているのです。
それは押し付け以外の何物でもないのかもしれません。
僕は去年、この歳で唯一の兄妹である姉を失ったが故に、彼女の乳がんに対して彼女自身以上に過敏になっていたことを認めなければならないのかもしれません。
また、彼女は怪我や病気に対して、普通とは少し異なる感覚をもっています。僕がそう思うだけで、もしかしたら僕の方が普通と違うのかもしれませんが。
彼女は病気になったり怪我をすると、周りの人に謝ります。迷惑をかけてしまうから謝るのは分かるのですが、「なぜその病気になったり怪我をしたのか」には関わらず謝るのです。迷惑をかけない場合ですら、謝る場合があります。
そして、逆に僕が病気になったり怪我をすると責めるのです。同じように、その病気になったり怪我をしたりした原因に関わらず責めるのです。
僕の感覚からすると、自分の落ち度や不注意によって病気になったり怪我をした場合は、自分が悪いのですから、周りに謝るのも分かります。ですが、生きている限り、どうあっても避けようのない病気や怪我はあります。そのようなものを被った場合に、周りの人に謝ることは理解できません。むしろ同情される方が普通だと思います。
どうも彼女の母親が、彼女が小さいころから、そういう感じで彼女のことを怒っていたようなのです。病気や怪我の原因を正確に分析せずに、被害にあった彼女が不注意だったと一律に怒ったようなのです。
彼女はこの世のほとんどのものを恐れませんが、唯一母親だけは恐れています。それは彼女自身が公言していることですし、彼女を見ているとまったくその通りに見えます。
彼女がもし、乳がんになったことは自分の責任であって責められるべきことだと思っていると仮定したら、僕が彼女の乳がんを心配すれば心配するほど、僕が彼女を責めているように感じていた可能性もあります。
そう考えると、僕が彼女に治療の選択肢を提示するだけで、彼女が嫌がって「私にあなたの望む治療をさせようとしている」と言ってきたことも辻褄が合います。
こういったことも、以前からある程度は気づいていたことでした。ですが、目の前の治療方針のことになると、どうしても合理性を優先させてしまっていました。配慮が足りなかったです。
こういったことを少しずつですが、最近は彼女と話し合えるようにはなってきています。少しずつでいいから、分かり合えるようにして行ければと思っています。
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