無治療を求める彼女は異端なのか
彼女は温存手術後の放射線治療をしないつもりです。前回の診察でその旨を主治医に告げた結果、「主治医に脅されました」の回のようなやり取りになってしまい、次の診察まで一旦保留ということになりました。
まあ、そのやり取りはさんざん書かせてもらったので、今回はもう触れないことにします。
ただ、その時に主治医から聞いた話なのですが、多くの乳がん患者の中には一定の割合で、彼女のように治療をしないことを選択する人がいるようなのです。
その主治医の患者では、ルミナールタイプの乳がんでタモキシフェンすらやらない完全に無治療を選択する人が前年度の中に1人いて、これは約1%に当たるそうです。他の患者も大体そのくらいの割合で無治療を希望する人がいるそうです。
この数字は、手術後の無治療の話です。手術(=局所治療)も拒否する人は、これより少ないはずです。
僕は彼女と乳がんの治療方針について、とても多くの時間を使って話し合っています。なので、彼女の気持ちは大体理解できているつもりです。(まあ、いまだに「大体」なのですが・・・)
ただ、これが彼女以外の人が無治療を望む場合だったら、僕はどうするのか。どうすべきなのか。非常にナーバスで難しいことです。
このブログを読んで下さっている方の中に、そういった経験をされる方が出る可能性は低いとは思いますが、一応、僕が知りえたことを書き残しておこうと思います。
僕の彼女に関して言えば、あらかじめ危険を察知したり回避したりする能力が少し(かなり?)低いような気がします・・・
なんというか、そのままなんですが・・・
なので、純粋にリスクの管理ができていないがゆえに、無治療を選択しているフシもあります。
恐れという感情が異様に乏しいのです。
そんな単純なことなのか?と思われるかもしれませんが、それが半分くらいは占めていると思います。
そして、これは僕のカンでしかないですが、彼女のような恐れがないゆえに、がんのような病気で無治療を選ぶ人は他にも存在すると思います。
なぜならば、彼女を見ていて、恐怖の感情が欠如していてその分の欠陥があるだけ女性には見えないからです。生物的にみて、恐怖の欠如がただの欠損には見えない。
要するに、恐れという感情が乏しいことが、彼女の悪い部分になると同時に、良い部分にもなっている。
まあ、言ってみると、当たり前のようなことなんですが・・・
彼女は自分が恐れをほとんど抱かない性格であることを誇りに思っているようです。そういう人は彼女以外にも多いはずです。
そういう人は、それまで生きてきた中で、恐れなかったゆえに得をしたことがあるはずです。恐れなかったゆえに褒められたこともあるはずです。
実際に恐れを顧みずに勇敢に戦う人は恰好いい。
しかし、一つ問題があります。
本当は恐いが強い意志で恐れを克服して、そして勇敢に戦っている場合と、最初から恐れという感情がなく、その人としては普通に行動しているだけで勇敢に見えてしまう場合とあり、その違いは普通の感覚の人間には区別し難いのです。
なので、最初から恐れの感情が乏しい人間というのは、素の自分を出すと勇敢だと褒められることになるので、自分を隠さなくなります。そして、必要以上にどんどん恐れの感情を破棄していく。
それが高じて、本来は恐れなければいけない場面で、意図的に恐れを破棄しようとしてしまうのです。彼女のように・・・
そして、周りが困る・・・
お、恐ろしい・・・
乳がんの治療以外の部分で、僕は彼女の「必要以上に恐れを破棄する」部分を多く見ています。なので、こういったことが、彼女の乳がんの治療法選択にも影響を与えていると強く感じます。
乳がんの治療について、強気に無治療や最低限の治療を選択することを、今回のブログでは言及しないことにします。そもそも、それが「強気」と呼べるのかも、僕には分かりません。
彼女は強気に「健康な私ならば、再発などしないだろう」と言うので、「強気」になっていることは間違いないのですが。
ただ、彼女についてではなく、少し一般化して「強気」になって、乳がんで無治療を選択する人に対して言えることがあります。
おそらく、こういった人たちにとって無治療を選択することは、自分の良いところを出している瞬間なのだと思います。
嫌な言い方をしますが、こういう人たちにとって無治療の選択は「強い自分を見せている瞬間」なのです。全てとは思いませんが、そういう意味合いを含んでいるのだと思います。
がんのような重大な病気ではなく、軽い風邪や軽いケガで「こんなのほっとけば治るよ」と言うことならば、想像できるはずです。その延長線上の可能性があります。
「強気」を否定することは、その人の長所を否定することになる。その人との関係性に悪い影響を与える可能性があります。
また、何かアドバイスをしようとしても、「生き方、人生観が違う」ということになって終わってしまう可能性があります。「せっかく心配してあげてるのに!」となってしまう可能性もあります。
ナーバスな問題です。
「自分ならこうする」や「一般的にはこうだ」というアドバイスは、逆効果になる可能性があるのです。
というか、僕は実際に逆効果になりました・・・
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ディスカッション
コメント一覧
はじめまして。
ブログを持たない私ですが、少し感じたことをお伝えしたいと思いコメントさせていただきます。
まず、男性と女性とでは感覚が違うので仕方のないことです。
私は離婚後1年経たない時に乳がんに気付きました。
同じ病院でも医師により見解が違ったので、自分で全摘を選びました。
決断をしなければいけない時、色々なデータや今後の事を
自分の意思や迷いをどこかに置いて
「こうした方がいい、こうするべきだ」
と、周囲の人たちに言われることが本当に苦痛でした。
自分で考えさせて欲しい。
決断させて欲しい。
リスクも何もかも、まずは当人に考えさせて欲しい。
それを前提にして話をして欲しい。
自分で決めたことには、人は後悔しないと思うのです。
「理詰めで責めないで」
私は乳がんでしたが、もしも離婚せずにいたとして
「これはこうだからこうすべきだ」
「何故それがわからない?」
こんな風に言われたであろうことが、あまりにも想像できすぎて
逆に辛い思いをしたのでしょう。
本人はどこかで折り合いをつけるべく
治療の方針も自分で選ぶことができるのですよ。
そこを認めてあげた上で、寄り添ってあげることは出来ませんか?
自分の調べたこと、考えたこと、それは貴方様の自己満足ではありませんか?
彼女様とすれ違うのは、そこではありませんか?
人は理詰めで物を言われると、弱っているときには反論する気力すらなくなります。
自分はこう思う、こうしたいと言いたいことも言えなくなります。
だから口を閉ざすしかありません。
鬱陶しい投稿ですが、少しでも届きますように願いを込めて。
コメントありがとうございます。
「自分で決めたことには、人は後悔しないと思うのです。」
このことは僕もブログを始めた当初から、ずっと思い続けてきました。
ブログ本文では、僕の口の悪さから、自分の望む治療法を貫く人を批判しているように読めてしまったかもしれません。
ただ、僕としては、彼女に治療をして欲しいという気持ちを取りあえず抑えて、彼女が後悔しないことを最優先にサポートをしてきたつもりです。
僕としては、最終的には当然彼女の気持ちで治療法を決めるべきだと思っていましたが、治療法を彼女が選択する前に、彼女が選べる選択肢を全て知って欲しかったです。
そこで、to-koさんがおっしゃるように
「自分の調べたこと、考えたこと、それは貴方様の自己満足ではありませんか?」
となってしまったような気がします。
「理詰め」に対する僕と彼女の感覚の違いでした。これは僕と彼女のことにとどまらず、一般的な男性と女性の感覚なのでしょうか・・・
僕ならば、病気の治療法などは、理詰めであればあるほど歓迎します。
お返事ありがとうございます。
oomura様がとても真摯に色んなことを調べ考えていることは
とても伝わって来ます。
ただただ、感覚が違うとしか言いようのない思いです。
私の思いが彼女様と同じだとは言えません。
それを踏まえた上で、つい言葉を発してしまったこと
もしも傷つけていたなら申し訳ありません。
治療法を選ぶ際、実際に治療を受けるのは本人です。
私はある医師には温存+抗がん剤+毎日の放射線という治療法を言われました。
また別の同病院の医師には、抗がん剤+全摘出+ホルモン療法とも言われました。
理屈はどちらもわかりました。
そこで、体力・精神的負担・経済力・幼い子どもがいること等を考慮して
自分でどうするかを決めました。
治療法は理詰めでも、個々の状態、状況が違うので
全く同じ病状ステージでも、私の決めた治療が良いとは決して言えません。
お伝えしたかったのは、あくまでも同じ人間はいないということでしょうか。
「こうした方がいいのに!」
と、歯痒い気持ちでいらっしゃることは重々承知なのですが。
長々とすみません。
oomura様を責める気持ちではないのです。
体力も精神力も、そして年齢も、皆違う(ここが大事だったんです)
化学をもってしても、効き方すら個人で違うから
何も一概に言えない・・・ということ。
結果的に本人が決めるしかないと、それだけです。
どうか私の一意見でお心を乱さないでください。
心配して下さってありがとうございます。
僕としては、彼女本人が決めることは、口を出しますが、受け入れるつもりです。
僕が口を出すことと、彼女が自分の意見を変えることは、分けて考えるべきだと思っています。
彼女が自分の治療法を決めることと、僕がそれを受け入れることは、話が別です。
全ては関係はしていますが、100%の因果関係になっているわけでもないです。
to-koさんにアドバイスして頂いたことを、僕がどう思い、どう自分に役立てるかは僕の問題です。
僕は全く責められたとは感じていませんし、ご意見をいただいたことに感謝しています。
僕のブログによせて頂いたコメントを、彼女は全て読んでいます。
そして、少なからず影響を受けています。それについても感謝いたします。