このブログの前半の方を読んで下ったことがある方は、覚えていて下さっていることかもしれませんが、彼女は乳がんの治療を基本的に受けたがりませんでした。

がんの治療を受けようとしない方は、意外と多いかもしれません。

それには色々な理由が考えられると思います。

彼女が乳がんの治療を受けたがらなかった理由も、いくつかの理由の複合のように感じられました。その中の大きな理由の一つは「自分が健康体であることを信じたい」というものでした。

僕には一生かけても絶対に理解できない理由です。

世の中には死を恐れない人間がいるようなのです。

 

この話を聞いた方は、「作り話なんじゃないかな?」と思われるかもしれません。

僕も作り話であって欲しいです。

もしくは、「彼女さんは自暴自棄になって、そういうようなことを言っているのではないかな?」と思われるかもしれません。

そうではないのです。

 

彼女は、乳がんの手術の病理検査の結果が出て、抗がん剤治療やホルモン療法、放射線治療をするかしないかを決めなければいけない時期に、突然「引っ越しをする」と言い出しました。

僕が怒ったり、逆に泣きそうになりながら「お願いだから、乳がんの治療方針をしっかり決めてから引っ越ししよう」と頼んでも、彼女の引っ越しの意思を変えませんでした。

(彼女と僕の乳がんの術後の治療方針の話し合いは一時中断になりました。正確な日数は覚えていないのですが、引っ越し関連の期間により、彼女の乳がんの術後の全身への治療は1ヶ月以上遅れて始まりました。結局、タモキシフェン単独服用に決めました。)

彼女が引っ越ししようと思った理由は、「更新時の大家と不動産屋の態度がムカついたから」です・・・更新で家賃を上げるという、少し異例の要求をされたらしいのです。

その要求がおかしいのは事実ですが、だから「引っ越しをする」というのは、そもそもその対応として理解できません。

家賃を据え置きか、逆に引き下げる要求(交渉)をしてもいいはずです。そういったトラブルはよくあることのはずです。

ただ、彼女は「引っ越す」と決めて、それ以外の選択肢は一切受け入れませんでした。

更新料や値上げ分は僕が負担をすると言っても、聞く耳をもちませんでした。僕が大家や不動産屋と交渉するといっても聞きませんでした。

当時そのことをこのブログで報告して嘆いていたところ、このブログのコメント欄に「彼女さんは引っ越しをして、乳がんになったことなどの気持ちを整理したいのでは?」という意見をいただきました。

普通ならそう思われて当然です。僕もそうあって欲しいです。ですが、違います。彼女は本当に大家と不動産屋にムカついただけなのです・・・

 

なぜ今僕がこれらのことを思いだしたかというと、先日、また彼女が自分の体のことをあり得ないくらいにケアしない出来事が起こったからです。

彼女が自分の部屋で料理をしていて、二つの鍋を同時に使っていたところ、一方の鍋を動かす時に、もう一方の鍋のふちに左手を「ジュ」とやってしまいました。

その時に僕もそこにいました。

普段めったに声を上げない彼女が、その時は「アツっ」と声を上げました。まあ、それでも大きな声ではありません。

(なんか、もうここまで書いたら、落ちが分かりそうではありますが・・)

彼女は火傷の部分を水で冷やそうとはしませんでした。

 

僕は、とにかく早く冷やして、と言いました。「一刻も早く冷やすことが重要だよ」と、彼女に対するものとしては、見当違いのアドバイスをしていました。

彼女は「一刻も早く」どころか、まったく冷やそうとしませんでした。

(僕としては)当然、喧嘩になりました。

まずは、彼女の火傷を冷やすことに関しての知識が間違っているのではないかと、何度も何度も確認しました。

「大火傷はすぐに水で冷やすことによって、中程度の火傷に軽減できる。中程度の火傷なら軽度へ。軽度の火傷なら、水で冷やせば一切火傷にならない可能性もある。」

「どんなに軽い火傷だって、水で冷やす価値がないっていうことはない。もちろん大きな火傷ほど、水で冷やせば冷やす程価値は大きい。」

と繰り返し彼女を説得しました。

ですが、結局彼女はほとんど左腕を水で冷やしませんでした。

 

彼女はおそらくその火傷を軽傷だと自分で思い込もうとしていたのだと思います。

そして、それと同時に料理の最中で一旦離れて腕を冷やすのが面倒くさかったのです。

もちろん、彼女が腕を水で冷やすのならば僕が料理を変わりますし、その他のことだってなんでもします。

僕には、火傷直後に水で冷やすこと以上に優先されるくらい重要な事柄は存在しないです。

 

5分でいいから、頼むから火傷を冷やしてくれと言っても、聞き入れてもらえませんでした。

まあ、途中から彼女のあり得ない言動に対して、僕が怒るような言い方をしたから、彼女が余計に頑なに冷やさないと言ったのかもしれません。

しかし、「頑な」になったからといっても、火傷を冷やさないのは僕には考えられません。

僕と彼女は、あまりにも自分達の体や健康に対する考え方が違います。

もう、彼女とは付き合い続けるのは無理なのかもしれません。

(後日、その火傷は赤黒くというか紫色というか、そういう感じになっていました。3~5センチくらいに、鍋の淵の跡がついている感じです。水ぶくれにはなっていなかった、と彼女が言っていました。ただ、これは火傷の程度の問題ではないと僕は考えています。もし、まったく痕が残っていなかったとしても、僕としては考えも気持ちも変わらないところです。)

 

ここまで彼女のことを批判するように書いてしまったのですが、僕は実は彼女の考えていることも間違っていないことを知っています。

彼女には、現在乳がんの再発の危険性以外にも、差し迫った危険性のある生活習慣病の可能性がいくつもあります。

彼女はそれらに対して、すでに自分で対処できていると考えていることを僕は知っています。

ですが、僕から見て(おそらく誰から見ても)、必要な対処の10%も出来ているかどうかのレベルです。

そして、もし彼女がこのままの生活を続けて、それらの危険な症状が強くなってきてしまっても、彼女は自ら「あの時のもっとしっかりしておけばよかった」と後悔することはないと思います。

なので、彼女自身としては何も間違ったことをしているつもりはないはずです。

 

彼女のお母さんは肝硬変になっています。それでも御年70歳まで健康寿命を更新されていて、定期的な医療や介護を必要とされていません。

お母さんが乳がんの手術を受けた際にも、肝臓やその他の臓器への影響を考えてとても慎重にならざるを得ない手術ではありましたが、基本的には一般的な乳がんの患者さんと同様の手術を受けられました。

彼女のお父さんも、ご高齢になってからの肺がんを手術で根治させています。

彼女自身も30代までは、ほぼ医者にかかるようなことはなく、自分の体のケアを何もしなくても、とても健康に生きてきたらしいのです。

彼女にとって、自分の健康というのは「何とかなる」ものなのです。

客観的には間違ってはいますが、彼女の主観から見れば「何とかなる」ように見えて当然なのです。

そして、両親(特に彼女のお父さん)から受け継いだ、法外と言える胆力を持ってすれば、「何とかなる」と考えて当然です。

何とかならくても、「好きに生きられたのだから問題ない」と後悔しないくらいの胆力を彼女はもっています。

ですが、僕にはその胆力はありません。

 

非常に失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、彼女のお母さんは肝硬変になる前に対処できることがあったと思います。

彼女が乳がんの手術後の再発予防の治療は、やらなくても約75%は再発しないのだから大丈夫だろうと言っても、僕には、その確率を約90%に上げることができるタモキシフェンを飲まないという選択肢は考えられません。

自分が体に対して注意し、改善の努力をすれば防げた怪我や病気で命を落としたり障害を負ったりすることになったら、僕は一生後悔し続けると思います。

僕にとっては、結果が重要なのではなく、過程が重要です。ケアしたかしないかが重要で、努力したかしなかったかが重要です。

できる限りのことをして、それでも自分や大切な人の身に起こってしまったことならば、「それが天命だ」と受け入れられる可能性がありますが(それでも絶対に受け入れられるとは言い切れませんが)、最善を尽くさずにある意味当然の結果として自分や家族の身に起こった不幸は、僕には後悔しきれません。

 

彼女はそういった考えとは、むしろ逆と言える感性で生きています。

やはり、彼女とは別れるしかないのかもしれません。

僕は自分や家族の健康以上に大切なものはないと思っていますが、彼女や彼女の家族は(悪い意味ではなく)自分や家族の健康以上に大切なものがあるのです。

後悔するかしないか、何に対して後悔するかが、僕と彼女ではあまりに違います。

 

 

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僕は彼女の乳がんが昨年の10月に発覚してから、乳がんについての情報を集め始めました。

本を読んだり医者に聞いたりもしましたが、ネットでの情報収集がメインになりました。

乳がんについていろいろ検索をして読み進めて行きました。

読んだものは医療機関がまとめている情報も多かったですし、実際の乳がん患者さんが書いたブログも多かったです。

権威的なものから主観的・感情的なものまで、あらゆる角度から書かれた乳がんの情報を得られました。

いろいろな発信源からの情報は、それぞれ重要に感じました。検索をしては、結果を彼女に話ました。

 

それを繰り返すうちに、自分もネット上に彼女の乳がんの治療の過程を残しておけば、誰かが読んで参考にするのではないかと思い、ブログを書いてみることにしました。

以前からネット上に自分でサイトを作ってみたいと思っていたので、モチベーションがとても高いレベルで維持できました。

まず、少しでも彼女の乳がんの治療に有効な情報を得るために検索することは必至でした。そしてウェブサイトを作り、少しずつ読みやすいように改良を加えることは楽しかったです。さらに、そこに書き込む内容を多くの人に読んでもらえたので、嬉しくなりどんどん書き続けていきました。

なんというか、人は自分にとって価値があると思うことが重なると、大きな充実感を得ることができるんだと思います。

彼女のために乳がんの情報を集めることも、ウェブサイトを作ることも、多くの人に自分の文章を読んでもらえることも、僕にとって本当に充実したことでした。

なので、このブログを書くことは、僕には今までに経験したことがないくらい価値のあることになりました。

毎日文章を書き続けた経験は、僕にありませんでした。ましてや、それを多くの人に読んでもらうなど、想像できないことでした。

 

ただ、男の僕が乳がんのブログを延々と書き続けていくのも、少し無理がありますよね・・

彼女が術後のホルモン療法を始めた辺りの時期から、ブログの更新ペースを落とすかどうかを考えていました。

やはりというか何というか、彼女の治療が一段落してからは、少し安心して、乳がんについての情報を集めるための時間も減らしています。

小林麻央さんのことについては、衝撃が大きかったので、かなり調べましたが。

 

そういった訳で、昨日と一昨日は更新をしませんでした。実は三日前の分はその前日に予約投稿しておいたので、僕からみると、三日間このブログを書かなかったことになります。

三日間このブログを書かなかったところ、三日目の昨日の夜は頭がおかしくなりそうな思いになりました。

そのくらい、このブログを書くことは僕にとって充実感があることだったと、改めて自分自身で感じました。

毎日とても強い充実感を得られていたことが、すっぽりと無くなった状態になったわけです。

以前、彼女と喧嘩をした時にやはりブログを更新しなかったことがありました。(「ブログを書かないことで」)

その時も昨日と同じ精神状態になったのですが、昨日の方がもっと強く充実感を失った感じになりました。

あれからさらにいろいろあって、このブログに対する僕の思い入れが増していたのかもしれません。

 

来訪者のカウンターを見ると、このブログを毎日読んで下っていた人がいるはずで、その人達を裏切ってしまうのではないか、と心が苦しくなりました。

できるならば、彼女の乳がんに起きるどんなことでも全てこのブログで報告していきたいですし、僕が知りえた乳がんの情報を全てこのブログにまとめていきたいです。

ですが、それをしたとしても、乳がんについてのブログを男の僕が毎日更新し続けるのは、適当ではないのかもしれません。

というか、適当でないかもしれないそれを今までやらせてもらえていたことに、まずは感謝させてもらいます。

ブログは、情報をまとめるための媒体というようりも、日記に近い使われ方をするものです。僕がこのブログで今まで書いてきたことは、乳がんのブログというには、少しニュアンスが違ったかもしれません。

 

彼女の乳がんの治療が、タモキシフェンによるホルモン療法を始めたことによって、一応落ち着きました。

後は、タモキシフェンに強い副作用が出ない限り、それを飲み続けるだけです。定期検査はしますが、あまり頻繁にやることでもないです。

 

なので、今はこれからこのブログに、何を、どのくらいの頻度で書いて行こうか考えているところです。

そして、それを考えていた最中にブログの禁断症状が現れた次第です。

ブ、ブログって、いろいろ凄いものですね・・・

 

 

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「術後補助療法」という言葉があります。がんに関する用語で、おそらくがん患者自身やその家族ならば、そのままの意味としてすぐに理解できる言葉だと思います。

「アジュバント療法」は術後補助療法とほぼ同じ意味で使われる言葉です。

乳がんでの術後補助療法は、手術後に行われる、化学療法=抗がん剤治療、ホルモン療法、分子標的治療(主にハーセプチン)などです。

乳がんについてあまり知識がない人ならば、乳がんの治療は手術をして終わりだと思っている人も多いはずです。

そういう人が聞いても「術後補助療法」という言葉は分かりやすいもののはずです。手術の後にする補助的な治療だろうと、すぐに推測できる語感です。

また、乳がんに関する論文などで、この言葉はよく使われるようです。純粋に「手術後にする治療」という意味の言葉が、乳がんに関する論文では多く出てくるはずで、それら全てを指す統一された単語が必要です。

論文は英語で書かれるので、そこで「アジュバント療法」が使われるようです。

 

ただ、この「術後補助療法」という言葉ですが、現在の日本の乳がんに携わる医療機関では、(僕が検索した限りでは)あまり積極的に使われていないようです。

手術後に行われる、化学療法、ホルモン療法などを総称する用語としては、「再発予防」と呼ばれたり、基本的に薬を使うことになるので「薬物治療」などと呼ばれたりします。局所再発予防としっかり区別するために「転移再発予防」と呼ばれる場合もあります。

その場合は「手術後にやる」という意味が抜けてしまうことになるので、「術後補助療法」という言葉の意味をそのままは表せません。しかし、多少意味が変わってしまっても、あえてそう呼ぶ医療機関が多いようです。

彼女が手術を受けた病院でも「術後補助療法」という言葉は使われませんでした。「再発予防」か、もしくはただ「治療」と呼ばれました。

 

「術後補助療法」という言葉は、手術後に行われる化学療法やホルモン療法などを総称するには、語感的に非常に適切な言葉です。なのに、なぜあまり使われないのかは、僕の考えでは明白です。

「術後補助療法」はまったく「補助」ではないからです。むしろ乳がん治療の根幹部分です。

このことを患者に勘違いさせないために、「術後補助療法」という言葉は、患者に対する説明などで積極的には使われないのではないでしょうか。

 

小林麻央さんの乳がん治療歴について2」の回のブログで書いたことなのですが、例え先進の技術を使ってメスを使わずに乳房内のがん細胞を全て焼き切ったとしても、それだけでは全身に対する治療はまったくしていない状態で、無治療と言えます。

乳がんの治療は転移を阻止するための治療です。(転移が発見されたあとも、それ以上の転移を阻止する治療が大きな部分を占めます。)

乳房内に発見したがん細胞を取り除くことは、乳がん治療全体から見れば、一部分に過ぎません。

むしろ、乳房内から取り出したがん細胞を分析した病理結果から導き出される、最適な全身に対する治療が(それが「術後補助療法」と呼ばれるもの)、乳がん治療で一番重要な部分です。

極論すると、乳がんで手術をするのは、病理検査を正確にするためなのです。まあ、これは極論ですが・・・

ですが、乳房内に取り残したがん細胞が再び増える「局所再発」は転移することとは違い、命の危険には直接関係がないことからも、乳房(局所)の治療よりも、全身の治療の方が重要だと思えます。

 

しかし、乳房(局所)の治療よりも、全身の治療の方が重要だとなると、問題が起きます。

このブログでは何度も書かせてもらっていることなのですが、乳がんは手術が終わった段階で、もしかしたら微細な転移が既にあるかも知れないし、まったく転移はないかも知れないのです。(「彼女はすでに転移しているかもしれない」)

現在の検査の技術ではごく小さい転移巣は発見できないです。

手術時に微細な転移がまったくない場合は、乳房のがん細胞を取ればそこで治療は終了のはずです。それい以上に何か副作用のある薬を使うことは、患者にとって害にしかなりません。

手術時に(今の技術では発見できないくらいの)微細な転移が体のどこかにあった場合は、その段階で(転移巣が小さいその段階で)、全身に対する治療を十分に施したいはずです。

その二つの判別が、今の技術ではできない。なので、手術時点のステージや病理検査の結果、年齢や家族歴などの総合的なデータから転移している可能性を確率的に推測し、その確率に合わせて「術後補助療法」=再発予防=薬物治療のするしないと強弱を決めるのです。

 

微細転移がある可能性の高い患者が「術後補助療法」に対して「『補助』的な治療ならば、もういい。手術でがん細胞を取ったのだからもう十分でしょう。」と思ってしまうことは非常にまずいはずです。

大きな勘違いです。実際のところは分かりませんが、小林麻央さんのように標準治療を拒否して民間療法に頼ってしまう乳がん患者は、この勘違いをしている可能性があります。

なので、こういった患者に「術後補助療法」という言葉を使って説明することは好ましくないです。

逆に、微細転移がある可能性の低い患者に対しては、本当に「補助」的な治療になるわけですから、「術後補助療法」と呼びたいわけです。ですが、患者の乳がんの状態に合わせて、それらの治療を指す言葉を変える訳にもいかないです。

なので、「術後補助療法」という言葉は、微細転移がある可能性の低い患者に対しても使えないことになります。

 

医師は勘違いなどしないので、学会などで「術後補助療法」と呼んでもまったく問題ないのでしょう。

「術後補助療法」という言葉と同じ意味で、それに代わって患者に誤解を与えない適切な言葉が存在しないことが、現在の乳がん治療の微妙な部分を表していると思います。

 

 

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