彼女の乳がんの診断が出る前の話なのですが、彼女が乳がんの疑いありで検査を繰り返していたほぼ同時期に、実は僕の母も肺がんの疑いありで検査をしていました。

結果から言うと母は肺がんではありませんでした。肺炎でした。

しかし肺炎の診断が出る前は、レントゲンやCT画像などの評価でかなり肺がんの疑いが強かったようでした。

レントゲンやCTで映る腫瘍のような形に近い影が1か月以上消えなかったのです。

咳も1か月以上ずっとしていました。普通の肺炎ならば、そこまで長く炎症を起こしていることは稀なようです。

その肺の中の炎症のあった場所も、肺がんができる可能性の高い場所だったらしいです。

 

彼女と母親が、同時期にがんの強い疑いで精密検査を繰り返しました。

検査が正確にできる施設のある病院で取りあえず急いで検査だけしてもらうか、それとも入院を見越して治療実績のある病院に転院するか、彼女と母の二人とも、病院に関して紆余曲折しました。

近くの町医者や大学病院、がんの専門病院や、そのがんの専門病院に病院に紹介状を書いてくれることを推奨している病院など、合計で8医院10人以上の医師に、二人のがんの可能性をみてもらいました。

僕はそれらのほとんどに付き添いました。それぞれの医者の説明を聞きました。

がんの可能性あり、の段階での医者の説明の仕方は、本当にそれぞれに違いました。

それを今になってそれらを思い出してみると、人当たりの良しあしは医者としての能力に直接関係ないのではないか、と思います。

がんの可能性がある、もしくはがんの告知をされる患者を前にして、医者が取る説明の態度は、その医者の人柄が強く出る可能性が高いのではないでしょうか。

淡々と説明を続ける医者、営業スマイルを崩さない医者、看護師と一緒にお通夜状態になった医者、そして経験からくる貫禄からか、例えがんだった場合でも大丈夫だと安心させてくれる医者、とあらゆるタイプの医者たちでした。

正しい診断をしてくれたり、他の病院との連携を図ってくれたり、彼女や母を安心させてくれるように説明をしてくれたりと、僕が信頼できたと思える医者は、人当たりの良い人も悪い人もいました。

その逆に、ひどい診断をされたものだ、と今から考えると思える医者は・・・非常に人当たりが良かったです。営業スマイル医師です。

おそらく、同じ人当たりの良さであっても、人柄からくる素の性格なのか、もしくは悪く思われないように必死に作り出している人当たりの良さなのか、の違いなのかもしれません。

それを判断するのは、僕には難しいです。

 

ですが、一つだけ言えることがあります。

まだ可能性の段階で「大丈夫だろう」と言ってくれる医者は、それだけで良心的なのです。今のご時世だと。

「あなたは大丈夫です。心配ありません。」と言って、それが間違っていて、後から患者が大変なことになった場合、今のご時世なら訴えられる可能性があるのです。

医療ミスだ、と言われるのです。

例え訴えられなかったとしても、その医師の評価や評判は下がるでしょう。

逆に患者に「危険です」や「重篤です」と言っておいて、本当は大丈夫だった場合は、医師が責められる度合いはかなり低いはずです。

この場合は、医療ミスだ、と言う人は少ないと思われます。大事を取っただけ、と言い訳できます。

それに、治療したり投薬したりすれば、それが原因で治ったのか、もともと大したことがない状態だったのかは判断できなくなってしまいます。

 

そもそも、適当に「大丈夫だろう」などと医者が言えるわけがありません。根拠もなく「大丈夫」などと言うほど馬鹿?な医師が今現在はいるとは思えません。

今のご時世では、医者は「大丈夫だろう」と言ったら言った分、自分にリスクだけがあるのですから。

「大丈夫だろう」と言える医者には根拠があるはずです。それはその医者の経験以外にないと思います。医学は理論より統計が重きをなしています。

長年たくさんの患者を診てきて、かつ、間違っている場合に自分が被るデメリットを恐れずに、今の医者は患者に「大丈夫だろう」と言ってくれているのではないでしょうか。

 

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