昨日のブログで僕が言いたかったことを一文にまとめるとこうなります。

彼女は乳がんの治療をギャンブルのようにとらえ、彼女が普段ギャンブルをする時とまったく同じ感覚で乳がん治療にのぞんでしまっている。

ということです。

これはかなり不謹慎なことで、少し許せない気持ちになりました。

 

ですが、僕はギャンブルを否定するつもりもありません。ギャンブルは手軽で簡単な趣味としてよいと思います。

ただ、ハマり過ぎるとギャンブルは危険です。ギャンブル依存症という言葉があるように、病的な状態になる可能性があります。

趣味としてのギャンブルと、依存レベルまでハマってしまったギャンブルの間には、明確な違いがあります。

同じギャンブルをやっていても、かたや楽しんで遊んで満足する。かたや負け続けて借金をしたり、自殺を考えたりする。

僕はこの危うい方であるギャンブル依存症の状態を、彼女が乳がんの治療にのぞむ態度に見た気がしました。

 

僕は何度も乳がんの治療をギャンブルに例えています。このことを不謹慎でり、申し訳なく思っています。

不謹慎を承知でこういう例えをする理由は、こう説明しないと確率現象でしか分からないことの本質を説明するのが難しいと思うからです。

人は確率でしか理解できない現象を前にすると、その人の本性が出るのです。

ギャンブルがこの好例なことは言うまでもありません。ギャンブルをしている時に性格が変わる人は多いです。変わるというか、本性が出るのです。

占いなどを信じる強さなども、これになります。占いは確率的な予測であり、それを信じない人、適度に楽しむ人、心から信じる人、そして依存して全てを占いにかけてしまう人もいます。

実はスポーツも確率現象です。スポーツのプレイスタイルなどは千差万別です。どんなスポーツでも、強引に一番点数が高い(入りやすい)プレイを好む人から、堅実に守りを固めるプレイスタイルを好む人までいます。

人は確率現象を前にすると本性が出てしまいます。そして、本性を出すことはとても楽しいのです。だから、人はギャンブルもするし、占いも信じるし、スポーツに励むのです。

 

す、すみません、いつものように話が回りくどくなりました・・・

要するにギャンブルも占いもスポーツも楽しい。ギャンブルを楽しむことは人間の本能と直結していて、根源的な楽しさがあるのです。

ですが、ギャンブルは依存症のように道を踏み外す危険がある。(僕は占いにもスポーツにも道を踏み外す危険はあると思いますが、ここでは省略します。)

そして、彼女は乳がんの治療法選択においても本性を出して道を踏み外しかけているように見える。

何が問題なのか?

とても簡単なことです。自分の本性を出すことは楽しいことです。なので、確率現象を前にすると人は自然と本性が出てしまう。しかし、人は本性だけでは生きていけないのです。

たまに本性を出して自分を解放することは、楽しいことであり必要なことではあるのですが、それが楽しくてひたすら本性を出し続けようとすると、あらゆる問題が発生するのです。

 

ギャンブルは楽しいです。自分の小遣いの範囲で楽しんでいれば、それはとても楽しいものです。ですが、生活費を使い込んでしまったり、人にお金を借りてまでやってしまったら、それはもはや依存症で病気と言えます。

当たって得るお金のことを想像するのはいいです。ですが、それと同時に外れて失うお金のことも考えないといけないのです。

外れて失うお金のことをまったく考えずに、当たって得るお金のことばかり考えていると、負けても負けても止められなくなる。つまり依存症になる。

「とにかく、勝てばいいんでしょ?」というやつです。

勝ちと負けの両方のことを考えた上で、負けた自分が払える範囲でギャンブルはしなければならないのです。そうして初めて趣味としてのギャンブルが成立するのです。

負けた時のことを真面目に(客観的に)考えずにギャンブルをやってしまう状態が依存症です。

 

負けた時のことをしっかりと考えて、自分の責任の持てる範囲でギャンブルをするならば、後は好きにすればいいのです。どんなに自分の本性を出してもいいのです。

持っている金額の全てを、最初の一瞬に賭けてしまってもいいのです。逆に、他人から見れば気が遠くなるくらい、チマチマ少額を賭け続けてもいい。無謀な賭けをしてもいいし、堅実になってもいい。

 

乳がんの治療法選択も、確率現象である限りはこれらの法則が当てはまると思います。

僕の彼女のように、まったくの無治療を選択して、かつ再発をしないことを目指してもいい。逆に、わずかにでも再発率を減らせるのならば、どんな治療でも全てやる、というのも選択肢です。

それらは患者自身の性格や好き嫌いで決めるべきことなのです。患者の意思で決めなければならない。

ただ、それぞれの治療法の効果や副作用など、選択肢の中の情報は全て確認すべきです。確認してよく検討するべきです。自分の望まない治療方法についての効果や副作用などは聞きたくない。聞かない、というのはまずい。

「とにかく、どの治療法でも再発しないかもしれないんでしょ」というのはまずい。

自分の選択した治療法が上手く行かなかった時はどうなるのか。それはどのくらいの確率で成功するのか、失敗するのか。

そういうことをまったく考えないと、ギャンブル依存症と同じような状況になってしまう可能性があります。ただただ、再発しなかった自分を想像しているだけです。ギャンブル依存症の人が、ギャンブルで勝った時だけのことしか考えられないのと同じです。

人は確率現象でしか分からないことを前にすると、こういう状態におちいりやすいのです。

 

彼女が乳がんの治療法の選択で、無治療を選択すると言うならば、僕はそれを受け入れて僕のできる範囲でサポートします。

彼女の本性は強気そのものです。ですから無治療という強気の選択肢を取ることを僕は認めます。

ですが、彼女が無治療を選択するから、無治療以外の選択の情報をまったく考慮しないというのならば、それは口を出します。もちろん無治療の場合のリスクもしっかり確認すべきです。

強気と無謀は違います。他の選択肢を一切気にもとめないのは無謀であり、ギャンブル依存症の状態に近いです。

無治療を選ぶにしても、無治療のことだけしか考えていない結果ではなく、全ての治療法のメリットとデメリットを考えた上での選択として無治療を選ぶべきです。

 

 

 

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おかしいです・・

どうもおかしい・・

未だに彼女と不自然なほどに話がかみ合わないことがあります・・

僕が乳がんの治療法の選択肢を考えて彼女に説明すると「やっぱり私に治療をやらせようとしている」となるのです。

昨日電話で話していて、正直、なぜ今更こんなやり取りが僕と彼女との間で発生するのか理解し難く、頭がおかしくなりそうになりました。

何度も何度も彼女に違うと言っていますし、このブログでも書いています。

 

僕は最終的に彼女自身が自分で決めたことならば、無治療でもいいと思っています。逆に普通に標準治療をしてもいいと思う。

どちらを取るかは彼女が決めることだけれども、その選択をする時に必要になる情報を集めることを手伝っていたつもりです。

特に、彼女が標準治療外のことを望むのならば、情報が最重要のはずです。

僕の考える治療法を押し付けないように「もし僕が女性で乳がんにかかったら~の治療法を取る」というニュアンスのことは言うのを止めました。

一旦僕の意見を参考にしてもらうことを止めて、とにかく情報だけを集めて、それを彼女に出そうと決めました。

慎重に情報と選択肢だけを彼女に伝えていたのに、このざまです。

何か本当に根本的な部分で、彼女と僕に乳がんに対する認識の違いがあるとしか思えません。

 

彼女は今、引っ越し先の選定に忙しくしています。引っ越しすることを決めて、その期日が迫っています。なので、とりあえず引っ越しのことが一段落するまで、彼女と乳がんの話をすることを止めることにしました。

僕も乳がんのことが無ければ、彼女の引っ越し先の選定を全面的に手伝いたいです。

ですが、どうにも僕の性格的に、引っ越しの方に気持ちがもっていけない。

彼女の引っ越しは手伝いますが、僕の方はやはり乳がんの情報収集優先で時間を使うことにしました。

彼女も引っ越しに関しての情報収集は自分でやると言っています。僕には実際に部屋を見に行く時に付き合ってもらう程度でいいようです。

それならば、僕も気晴らしになるのかと思います。

 

彼女がタモキシフェンを飲まないかもしれない2の回のブログで書いたことですが、近い内に彼女が手術をしてもらった病院の主治医に今一度相談に行こうと思っています。

お堅い病院なことは分かっているので、標準治療内のことしか質問には答えてくれないとは思っています。タモキシフェンを飲まない相談などしても、何も起こらないと思います・・・

「再発率があがる」とだけ答えてくれることでしょう。まあ、副作用が強く出てタモキシフェンの服用を中止するケースがあるでしょうから、そういったケースの数を聞くことくらいはできるのかもしれません。

上手く行ったら、その場合の再発率なんかも、聞けるかも。そこまでいけば上出来でしょう。

CYP2D6の遺伝子検査についても質問だけは一応してみますが、「エビデンスが不十分」以上の回答がもらえるとは思えません。先生の個人的な意見として意味があると思うかないと思うか聞きたいところなのですが。

 

それと、彼女はゴールデンウィークに実家に帰る予定になっています。僕もそれについて行きます。

僕は彼女の両親と何度も会っています。彼女の乳がんについての説明も、乳がん発覚当初からしています。

ただ、術後の再発予防の治療法選択でここまで迷うことになった理由や現在の状況などは、ご両親には説明していません。

なのでゴールデンウイークは彼女と彼女の実家にお邪魔して、ご両親に経緯を説明す予定です。

そうするつもりなのですが・・・

相当上手く説明しない限り「彼女がわがままを言って治療を受けたがらなくて、彼氏が困っている」という構図になってしまうはずなのです・・・

それで僕が「ご両親からも何か言ってやって下さいよ」と言っているようにしか見えない図になってしまうのです・・・

この構図は、僕が今までやってきたことを、全て台無しにしてしまうことは言うまでもありません。

僕の手には余り過ぎる状況です・・・

 

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実は彼女はずっとこのブログを読んでいます。

そして、僕の書く内容に対して本気で怒ったりキレたりしたことはないです。

僕が自分で言うのものなんですが、ここまで書かれて怒らないのも凄いのではないでしょうか。

別に僕も彼女の悪口を書くつもりはまったくありません。だた、どうも僕は物事を悪い面からとらえてしまう性格なので、彼女の良くないところばかりがネタになってしまう傾向はあります。

ですが、彼女が僕に怒れない絶対的な理由があります。

僕がこのブログで書いていることはほぼ事実だからです。

 

僕は人に物事を説明する時に内容を盛ること(誇張すること)はあまり好きではないです。

まあ、面白おかしくしようとする時は多少盛りますが、それは聞いてくれる人にはわざと盛っていると分かるようにします。

なので、僕は基本的にこのブログでは真実を書いています。

 

彼女は白塗りのベンツだろうがセルシオだろうが、割り込めばクラクションを鳴らしパッシングをします。そういう車と何度もトラブったことがあるらしいのですが、止めません。

車の運転自体も、言えないような(僕なら死の恐怖を感じるような)ことをします。詳しくは書けません。

駅のホームでは一歩押し出されたら、〇〇して、走っている列車と○○しそうな場所を平然とハイヒールで歩きます。革靴の男性すらよけて歩くようなところをです。(それを見た後、お願いだから止めて欲しいと何時間も頼みました。)

彼女は僕の知り合いの初対面の男性に対して、平気で下ネタを話します。見た目はとても女性らしいのにです。(多分、これをやられた男性は、彼氏(つまり僕)が指示を出して無理矢理やらせているんだと勘違いする可能性が高いはずです。残念ですが、普通ならそういう風にしか解釈できません・・)

 

そして、一番信じてもらえなそうなことなのですが、彼女は本質的に乳がんを恐れていません。

彼女が恐れているのは、主に乳がんについての二次的なもののようなのです。「通院が面倒」とか「薬の副作用が嫌だ」とか「ちゃんと治療しないと周りに文句を言われる」とか。

自分の体が乳がんに負けるような不健康な体だということが一番嫌だとも言っていました。

もちろん、それらは乳がん患者の誰にとっても嫌なはずです。

ですが、普通ならば一番恐れるものは、乳がんという病気自体なのではないでしょうか。乳がんが恐いという感情自体が、彼女の治療に対する理由の一番大きいものになっていないようにしか見えないのです。

 

ここまで書いてみると、ちょっと僕の言っていることは信じてもらないような気がします。そして、もしこれが本当でないのならば、僕はとてつもなく不謹慎なことを言っていることも自覚しています。

 

僕自身も彼女と付き合い始めた当初は、そんなわけがないと、自分の考えを否定したものです。ですが、長く彼女と付き合い続けていくと、そう考えないと全てのつじつまが合わない状況にしかならなくなっていったのです。

この世には、死を恐れない人間というものがいるようなのです・・・

 

仮に、彼女が乳がんを恐れていないと自ら宣言したとして(そのように僕が感じる彼女の発言は何度もあります)、そのような態度を取ったとしても、それでも彼女の無意識は彼女自身にすら見えないものなので、深層にある恐怖心を仮定しないことは不誠実だと思います。

その仮定しかできない恐怖心を安らげることが、僕のような彼女に近しい人のやるべきことだと思います。

そ、そう信じてみるしかないです・・・

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