このブログの「主治医に脅されました」の回では、少し冷静さを失って書きなぐってしまった感がありました。

なので、自分で冷静に読み直して、説明の足りない部分を追記してみたいと思います。

 

まず、僕が主治医の何に怒りを感じたかがはっきりしない文章になってしまっていました。僕が納得できなかったのは、この医師の説明方法です。

説明された内容や、説明された上で勧められた内容に対しては、そこまで納得できないこともありませんし、怒りは覚えません。

 

この医師は「最悪の事態」ばかりを説明して、他のことを一切説明しませんでした。医師が最悪の事態について説明するのは当然ですし、患者は最悪の事態を知っておくことも必要です。

(医師の説明は温存手術後の放射線照射についてです。最悪の事態とは、局所再発、再発の発見が遅れてのリンパ節転移、その後の乳房全摘やリンパ節の廓清です。)

ただ、その最悪の事態が起こる可能性はどのくらいなのか。それを防止するための手段(放射線治療)のコストや副作用はどのようなものなのか。

それらをまったく説明しなかったのです。僕は医師がやらなければならないことは、むしろそれらだと思います。

 

最悪の事態がどんなに酷いものであっても、それが起こる可能性がごくごく低いものであれば、それを予防するために強い副作用のあるような予防的治療をするのは間違っています。

逆に、どんなに悪化した場合でも重篤な事態に陥らないようなことであっても、それが起こる可能性が高い場合は、副作用があっても予防的な治療を受けるべきです。

乳がんの温存手術後の放射線治療もこれに当てはまります。

 

乳がんの温存手術後の放射線照射をしない、というのは一般的ではないです。ですが、彼女がかかっているがん専門の大病院では、多くの患者の中からデータを取って、局所再発の可能性が低い患者に対して放射線照射の省略を適用しています。

他の病院でも、最初期の乳がん患者に対してそのようにしているという情報もありました。

温存手術後の局所再発率は放射線の照射で下げることができます。温存手術を受けた乳がん患者が放射線の照射を受けない場合の局所再発率は、全体の平均で35%~40%くらいです。放射線治療を受けると、これを約1/3にできます。

全体の平均では35%~40%くらいになりますが、患者の乳がんの状態によって、この数字は変わります。主に手術でがん細胞が取り切れたかどうかを示す「断端陽性/陰性」でこの数値が上下します。その他の乳がんの状態で局所再発率は変わります。

もし予想される局所再発率が平均的な35%~40%くらいであるならば、放射線治療は必ず受けるべきだと思います。十分に価値のある予防治療になると思います。

ですが、予想される局所再発率が低い場合は、放射線治療を受けるか受けないかをよく考えるべきです。

彼女の場合は、放射線治療をしない場合の予想される局所再発率は9%だと言われました。この数字ならば、少なくても放射線治療を受けないことを検討する価値はある数字のはずです。

単純計算で、35%~40%の局所再発率ならば、放射線治療をすれば12%~13%に下げられます。そうすると、その恩恵を受ける人は、100人中、大体25人くらいです。9%の局所再発率ならば、その恩恵を受ける人は100人中、6人です。

同じコストと副作用で、その効果(価値)が4倍くらい違うのです。

 

予想される再発率の高低によって予防的な治療の価値が大きく変わってしまいます。そして、これは放射線治療に限ったことではありません。

抗がん剤治療もホルモン療法も、それを行った場合にある程度高い効果を期待できる場合に行うのです。予想される再発率(進行度)の高低によって、その治療を行うか行わないかを決めます。

標準治療であろうがなかろうが、乳がんであろうが他のがんであろうが、これは最重要な治療方針のはずです。

 

もし、予想される効果の大きさを、その治療を行う基準に一切入れないのならば、全てのがん患者に抗がん剤治療をすべきです。さらに、がんの疑いのある患者には、経過観察と同時に予防的に抗がん剤治療をすべきです。

これは極論なので現実的には絶対にないことなのですが、予想される効果の大きさを考えずに治療法を決めるとこれが正しいことになってしまいます。

 

僕が主治医に「脅された」と言って怒った診察では、こういう話になったからです。主治医が彼女の予想される局所再発率抜きに、最悪の可能性だけをひたすら説明したので怒りを感じました。

最悪どうなるかは医師でなくても予想できます。そして、この病院では局所再発率が低い場合は放射線治療を省略することが決まっています。

この場合、まずは一般的な局所再発率と、彼女の予想される局所再発率と、この病院が推奨する放射線治療を省略する基準の局所再発率を説明するのが、医師の仕事だと思います。

局所再発率の数字の話をすべきです。この医師はこの診察で一切数字の話はしませんでした。数字なしに、治療をするしないの何を決めようというのでしょうか。

(明らかに低い数値なので治療をしない、明らかに高い数値なので治療をする、というような場合は、医師は数字の話をしなくてもいいことは承知しています。)

 

もちろん、僕が数字を一切出さずに説明する医師に対して、数字を出しての説明をしてくれと要求することはできました。

できましたが、そう聞いても違う答えが返ってくるとは到底思えないような全体としての説明だったのです。そういう有無を言わせぬ雰囲気で説明をしてきたのです。だから「脅された」と思ったのです。

まあ、喧嘩になってでも、医師に言いたいことを言い、聞きたいことを聞く必要もあるのかもしれませんね・・・

 

 

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僕は彼女が乳がんと診断されてから、常に彼女治療方針に口を出してきました。

転院も勧めました。医師の診断に対し常に懐疑的な気持ちを持ち、その時点の主治医の治療方針以外の情報も集めようとしました。セカンドオピニオンにも行きました。

がんの治療は彼女と僕の一生にとっての重大事だと思ったからそうしました。また、がんの治療は医師や病院の方針によって大きく違ってしまうという話を聞いたことがあったからでもあります。

しかし、今までの彼女の乳がんの治療の経過を思い出してみて、これまでの僕の取った態度はこれで良かったのか、と思えてきます。

以前に彼女が言っていたように、僕の気持ちを彼女に押し付けているだけではないのか。

彼女の乳がんの治療方針は彼女自身が決めるべきですが、僕がここまで口を出したら、ほとんど僕が決めているのと同じことなのではないのか・・・

 

先日の彼女の主治医の誘導的な治療方針の説明を聞いて、僕は非常に腹を立てました。しかし、よく考えてみると、僕が今まで彼女の治療方針に対して口を出していたことは、この医師がやったことと本質的には同じだったのではないのかと不安になりました。

僕としては、彼女の体のことを一番に考えていた。だから彼女が自分の体のことを第一に考えないような発言をしたら、それを怒るようなことをしました。

彼女の主治医は、いわゆる大人の事情によって、不自然な治療方針の説明の仕方をしてきました。彼女の体のことを一番に考えていない。だから、僕は彼女の主治医に対して怒りを覚えた。

僕だけが彼女の体のことを考えている。

 

ふと気づくと、そういった非常に危険で利己的な考え方に、僕自身が陥っていることに気付きました。

こういう、他人の健康に対してその本人以上に注意を払っていいのは、おそらく親が自分の小さい子供に対してだけです。

それ以外の場合は、そういった気持ちのほとんどは上手く行きません。経験的にも原理的にもそれを僕は知っていたはずなのですが、いつもすぐに忘れてしまっています。

彼女が健康であって、一番うれしいのは僕なのです。僕が自分の願望(欲望)として、彼女の健康を彼女自身以上に願っているのです。

それは押し付け以外の何物でもないのかもしれません。

僕は去年、この歳で唯一の兄妹である姉を失ったが故に、彼女の乳がんに対して彼女自身以上に過敏になっていたことを認めなければならないのかもしれません。

 

また、彼女は怪我や病気に対して、普通とは少し異なる感覚をもっています。僕がそう思うだけで、もしかしたら僕の方が普通と違うのかもしれませんが。

彼女は病気になったり怪我をすると、周りの人に謝ります。迷惑をかけてしまうから謝るのは分かるのですが、「なぜその病気になったり怪我をしたのか」には関わらず謝るのです。迷惑をかけない場合ですら、謝る場合があります。

そして、逆に僕が病気になったり怪我をすると責めるのです。同じように、その病気になったり怪我をしたりした原因に関わらず責めるのです。

僕の感覚からすると、自分の落ち度や不注意によって病気になったり怪我をした場合は、自分が悪いのですから、周りに謝るのも分かります。ですが、生きている限り、どうあっても避けようのない病気や怪我はあります。そのようなものを被った場合に、周りの人に謝ることは理解できません。むしろ同情される方が普通だと思います。

どうも彼女の母親が、彼女が小さいころから、そういう感じで彼女のことを怒っていたようなのです。病気や怪我の原因を正確に分析せずに、被害にあった彼女が不注意だったと一律に怒ったようなのです。

彼女はこの世のほとんどのものを恐れませんが、唯一母親だけは恐れています。それは彼女自身が公言していることですし、彼女を見ているとまったくその通りに見えます。

 

彼女がもし、乳がんになったことは自分の責任であって責められるべきことだと思っていると仮定したら、僕が彼女の乳がんを心配すれば心配するほど、僕が彼女を責めているように感じていた可能性もあります。

そう考えると、僕が彼女に治療の選択肢を提示するだけで、彼女が嫌がって「私にあなたの望む治療をさせようとしている」と言ってきたことも辻褄が合います。

こういったことも、以前からある程度は気づいていたことでした。ですが、目の前の治療方針のことになると、どうしても合理性を優先させてしまっていました。配慮が足りなかったです。

 

こういったことを少しずつですが、最近は彼女と話し合えるようにはなってきています。少しずつでいいから、分かり合えるようにして行ければと思っています。

 

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セカンドオピニオンに行ってきました。

僕は聞きたいことを箇条書きにして先生に渡し、その先生は一つ一つに答えてくれました。

有意義なセカンドオピニオンでした。

彼女も親身になって(?)聞いていました。彼女が自分自身のがんの治療法について真面目に考えていないという僕の心配は無用のようです。

僕は病気のことと引っ越しのことを同等に扱う彼女を見て、病気のことを軽視しているように感じていました。

ですが、そういうことではなかったようです。彼女の中ではどちらも重要なこと、だったわけです。

病気のことと引っ越しのことは彼女にとって比べられない。比べることのできないことを僕が比べて優先事項を彼女に押し付けていたことを反省します。

 

それで、僕にとっては一生で一番重要な日になるかもしれないセカンドオピニオンの内容はどうだったかと言うと・・・

取りあえず、具体的なこと言うか、医学的なことと言うか、詳しいことは、次回以降に、慎重かつ丁寧にまとめて書いて行きたいと思います。

ざっと簡単にまとめてしまうような内容ではないです。

慎重に言葉を選ばないと、多くの読んでくれている方に誤解を与えてしまうかもしれないですし、多くの方を嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない内容なのです。

僕と彼女が今日受けてきたセカンドオピニオンは、某有名がん放置治療の先生のところのものだったのです。

僕は彼女が手術を受けた某有名がん専門の大病院をボロクソにこのブログで書きました。

いまさら、何を言葉を選んでためらう必要があるのかという話なのですが・・・

今まで僕が批判してきた抗がん剤についてことは、あくまで標準治療内の話でもおかしいと言えることだったのです。

ですが、今日受けてきたセカンドオピニオンの内容は、標準治療の外の話です。

これから彼女が選択する治療法も、そして僕がこれからそれについて書くブログの内容も、慎重にならざるを得ません。どうかご理解下さい。

 

例えば、標準治療ならば、乳がんは必ず手術をします。

しかし、乳がん患者の中には、「乳房には絶対にメスを入れたくない」という人も少なからずいます。

手術をしない決断をした乳がんの患者が、ブログで「やはり手術をしなくてよかった。自分の乳房にメスが入るなんて考えられない。手術をするくらいならば乳がんで死んだ方がまし。」というようなことを書いていると、実際に苦渋の選択として手術を受けた乳がんの患者は、それを読んでどう感じるでしょうか?

ここまで露骨に感情的なことを書かなかったとしても、現実的な「手術をしない治療法のメリット」を書いているだけで、実際に手術を受けた乳がんの患者は、いろいろ思うところが出てきてしまったりするのではないでしょうか。

なので、絶対に慎重に書かなければならないところなのです。

 

僕と彼女は標準治療範囲外のことも視野に入れて治療法を考えています。今日のセカンドオピニオンを受けて、ほぼ大筋の考え方が決まりました。

近い内に治療方針を決めます。そして僕と彼女がその治療方針をとった根拠と、彼女の心情的なことをこのブログに書くつもりです。慎重にですが明確に書いて行きたいです。

 

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