前回のブログに対してコメントをいただき、自分で本文を読み返してみたところ、何か日本語としておかしくなっているような気がしてきました。

一応日本語としての文法は成立していますし、彼女が乳がんの手術を受けるまでの僕の心情としては、そのままを書き表していることは間違いないです。

どこがおかしいのかをよく考えてみたところ、どうやら「大丈夫」という言葉の使い方が非常に曖昧になっていた、ということに気付きました。

前回のブログでは、「大丈夫」という言葉の意味を、一般的な日本語の意味とは少しズレている、僕の主観的な使い方をしていたように感じます。

そもそも、前回のブログのタイトルが「医師は大丈夫なのかどうか教えてくれなかった」というものなのに、その一番の主題である「大丈夫」という言葉を曖昧に使ってしまったことは、非常にまずかったです。

お詫び申し上げます。

 

僕が前回のブログで言いたかったことは、彼女の乳がんの手術が行われて、病理検査の結果より乳がんの状態が詳細に分かるまでは「不当に不安になっていた」ということです。

そして、今になって後から考えると、主治医や他の医師がもう少し違う情報の与え方をしてくれていたのならば、そういった不当な不安はなかったように感じることです。

彼女は非常に混雑している、がん専門の大病院で手術を受けました。診察では、別に急かされることはありませんでしたが、だからと言ってゆっくりと聞ける限りのことを聞いていい雰囲気でもありませんでした。

彼女と僕は、診察で主治医に質問する機会に、大切なことの要点をしっかりと聞くために、あらかじめ質問する内容を考えていく必要がありました。

 

いろいろと質問しましたが、しかし、不安は解消されませんでした。

その原因は前回のブログでも書きましたが、そもそも、当時の知識では、何を聞いて何と答えてもらえれば、それが大丈夫かどうかの判断材料になるかどうかも分からなかったからです。

ここで「大丈夫」と思うのは僕です。僕が勝手に主観的に「大丈夫」と思うための質問をしようとしているわけです。

彼女が自分自身のことを「大丈夫」と思う基準と違うかもしれません。(というか、結果として確実に違いました。彼女は僕が感じるより遥かに大丈夫だと思っていましたし、治療の選択肢では大丈夫な側の選択をしようとしました。)

ですが、僕としても、ただただ自分の不安を何とかするために、医師に優しい言葉をかけて欲しかったのではありません。

なるべく現状の把握を正確にしたかったのです。僕にとって現状が把握できないことが不安でした。

 

彼女が手術をしてもらったがん専門の大病院に転院してきた時には、すでに針生検によって、ある程度の乳がんの状態が判明していました。

なので、僕はまず「針生検の結果は術後の病理検査の結果によって大きくくつがえるものですか?」と主治医に質問しました。この時点では、彼女の乳がんについて知り得ることのほとんどは、この針生検からのものです。(残りは画像の診断のものです。)

そうしたところ、「大きくくつがえることはほぼない」との回答でした。

この回答をもらったことと、手術前のMRI検査などから、僕は彼女の乳がんを不当に心配する必要はなくなったはずでした。

しかし、やはり不安はぬぐえませんでした。

この時点で知り得ていたいろいろな数値の意味合いを、理解できていなかったことが不安につながったと思います。

 

1%でも転移再発率があるのならば、不安はぬぐえないのでしょうか。

そういう人もいると思いますが、僕は彼女の乳がんではそういう意味合いでの不安はなかったです。

では10%ならば?・・・50%ならば?・・・

キツい言い方をすれば、数値をどう解釈するかは、人それぞれです。1%でも転移再発率があったら不安でどうしようもなくなってしまうのであれば、患者の心の問題として、カウンセリングや、乳がんについて心のケアをしてくれるサービスを受けてみるべきです。

そういう心の問題は、実は数字の大小に関係ないことのはずです。再発率などの数字で、「何%を基準として、ここから下は大丈夫で、ここから上は不安になる」という問題ではないはずです。

 

こういったことを考え合わせると、僕が彼女の乳がんの手術前に心配になっていた原因は、彼女と自分が取った治療の選択肢が合っているのかどうか?についてだったということが分かりました。

それは、もしかすると、僕自身が患者本人ではなかったからなのかもしれません。もしかすると、彼女自身があまり治療に積極的ではなかったからかもしれません。

もしかすると、本当のところは違うのかもしれませんが、しかし、彼女と自分が相談して選んだ治療の結果が間違っていて、そのせいで彼女の乳がんの再発に影響が出てしまうようなことがあると考えると、夜も眠れないほど不安になったことはたしかです。

 

その時点で分かっている乳がんの危険性を正確に把握できない不安、そして、その正確な状態の把握から導かれる治療の最善の選択肢が取れているかどうか分からない不安。

その二つは直結しているはずですし、その二つが相乗効果として僕の不安を大きくしていたような気がします。

 

 

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前回のブログ(「最善の病院で最善の医師に治療してもらいたい」)を書いていて、僕は彼女が乳がんで入院する直前のことを色々と思い出しました。

乳がんは、手術の前の患者に分かることは少ないです。なので不安になります。

いや、正確に言うと、手術の前に患者が乳がんに対しての知識を多く持っていることは稀なので、医師に何を言われても大丈夫なのかどうかが分からないのです。

そして、彼女が手術をした病院では、具体的な情報を教えてくれることはあっても、それがどういう意味合いを持っている情報なのかは、ほとんど教えてくれませんでした。

医師が主観的な発言は控えるような風潮のある病院でした。

 

乳がんの手術の直前には、MRI検査によって乳がんの正確な広がりを把握します。

また、手術前の針生検やマンモトープ生検で、乳がんのサブタイプが分かっていることが多いです。

かなり正確なしこりの大きさも、乳がんの顔つきも分かっているのです。

ですが決して、手術後のおおよその生存率や再発率などは教えてもらえませんでした。

それらをしつこく教えてくれとは言わなかったからでしょうか。

しかし、そこまで分かっていることを、僕はその時点では理解できていませんでした。

なので、何を聞いたら「大丈夫なのかどうか」が分かるのかすら理解していなかったです。

そして、医師はそういったことを、あまり説明してくれませんでした。

あの頃、僕は彼女の乳がんを不当に恐れていました。

 

「おそらくステージⅠだろう」とは、複数の医師から聞きました。ただ「おそらく」ということは、そうでなくなる場合もあるのだとしか理解できませんでした。

彼女のお母さんは、知り合いに「ステージⅠでも助からない場合も多いらしいよ」と心無いことを言われたらしいです。

また、彼女は針生検の結果、ki67が高い、となっていました。ki67とは増殖能です。

増殖能が高いということは、たとえステージⅠでも危険なのではないか?という考えで頭がいっぱいになりました。

 

現在の乳がんの治療では、あらゆる検査をして、乳がんに対してあらゆる評価をつけます。

乳がんの危険性を表す指標がとても多いです。

多くの指標の全てが安全だとなることも、全ての危険性が高いとなることも、ほとんどないです。

なので、乳がんの状態は千差万別なのですが、どの乳がんをとってみても、何かしら危険だと評価されてしまう項目が最低でも1つや2つあるのが普通です。

その一つだけをとって、例えば彼女の場合は「ki67=増殖能が高い」などと言われてしまうと、とても心配になります。

つまり、不当に心配になる要素は、誰のどの乳がんにもあるのです。

そういう心配な要素を全てひっくるめた(加味した)上での、乳がんの生存率や再発率であって、「危険な要素があるからステージⅠでも危ない」という考え方は間違っているのです。

そのことは、手術の前には知る由もなかったです。そして誰も教えてくれませんでした。

 

これらのことは、少し理解しづらいです。ある意味では数学的なことだと言えます。パラドックス(逆説)です。

乳がんの治療には数学的なパラドックスが付きまといます。なぜならば、現在の乳がん治療は確率的に行われているからです。

乳がんのパラドックスで一番大きいものは、「あの人は乳がんの治療が遅れたから助からなかった」というものです。

どんなに早期で乳がんを発見したとしても、転移再発率はゼロにはなりません。逆に、どんなに発見が遅れたとしても、生存率がゼロになることはありません。

なので、乳がんはどの時点で発見して治療したとしても、後にその人が乳がんでなくなった場合、発見が遅れたから助からなったなどとは絶対に言い切れないのです。

発見が早かったら助かっていた「かもしれない」だけなのです。発見が(何年何か月)早かったら、(何%)助かる確率が高くなるかという具体的な数字は、今のところまったく分かっていません。

「(何%)助かる確率が高くなるか」は、おそらく多くの人が思っている以上に低い数値になります。

乳がんは、発見が多少遅れても、その人が助かる助からないが決まる可能性は大きく変動しないということです。

だからこそ、乳がんはステージⅡ以下では生存率が非常に高いわけですし、だからこそ、手術の待ち期間が数か月に及んでしまっても、病院側は「他の病院で手術した方がいい」とは言わないのです。

この事実は、ほとんどの乳がん関係の医師は当然知っています。ですが、上手く説明できていない場合が多いのではないでしょうか。

 

彼女が乳がんの診断を受けてから手術にこぎつけた期間は4か月くらいありました。

彼女が「手術待ち期間の間に転移してしまうことはありませんか?」と医師に尋ねた時に、その医師は「大丈夫だと思いますが、心配なら他の病院の紹介状を書きます」と言ってきました。

まともな説明になっていませんでした。それを聞いて、むしろ怖くなった覚えがあります。

その時の自分にまともな説明をしてあげたい気分です。

 

 

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先日、このブログのコメント欄に、現在乳がんの治療をする病院をどこにするかを悩んでいらっしゃる方が書き込んで下さいました。

その方のおっしゃることは、彼女と僕が乳がんの治療で経験しことに、とても近かったです。

おそらく、この方が候補として考えている病院は、どこも十分に良い病院です。

ただ、細かいことを一つひとつ考えていくと、それぞれの病院には良い部分と悪い部分があるので、決めかねる気持ちが出てきます。

病院選びによって、乳がんの治療が上手く行くかどうかが決まってしまうと思うと、簡単に病院を決める気持ちにはなれないことは、僕も彼女の乳がんの治療の経験から、痛いほど理解できます。

特に、この方がコメントの中で書かれた言葉で「漠然とした不安がある」という部分は、本当に僕が経験した気持ちそのものでした。

まあ、彼女本人はそこまでではなかったように見えたのですが・・

 

ただ、今思い返してみると、そういった不安の根本にあったものは、乳がんという病気に対する誤解だったように思います。

がん細胞というものは、何も治療しないと、どんどん増えていくというイメージがあります。

なので、一刻も早く、わずかにも取り残さずに、正確な手術をしなければならないと思ってしまうのです。

多くの日本人はこういった乳がん(or全てのがん)に対するイメージを持っているかと思います。

このことは、全くの間違いとは言えませんが、完全に正しいとも言えないことです。

 

誤解を恐れずに主観で言わせてもらうと、乳がんの治療は上記のようなものというよりも、もっと大まかなものです。

大まかに、何%くらいで転移再発する可能性があるものを、ホルモン療法、抗がん剤治療、分子標的治療を行うことによって、何%くらまで下げられる、というようなものです。

乳房やリンパ節に対する手術にいたっては、多少がん細胞を取り残そうが、余命にはほぼ関係ありません。(そうでなければ、乳房温存手術や腋窩リンパ節の郭清の省略などは、危険過ぎてできないことになります。)

乳房に対する手術の重要性は、乳房のがん細胞を取り除くことというよりも、むしろ、取り出したがん細胞を顕微鏡などで厳密に調べて、そのがん細胞に対しての治療方針を決定することにあります。

乳がんの治療は手術後に本格的に始まる、と言っても過言ではないと思います。

 

「一刻も早く」「少しでも正確に」手術をしてもらわなければならないという気持ちから、乳がんの診断を受けた患者は、必死になって手術をするための病院を選ぶことが多いです。

しかし、その病院選びをしている期間にも、乳がんが進行してしまうかもしれないと不安になります。

また、芸能人の乳がんがマスコミで報道された場合などは、乳がんの手術待ち期間が異様に長くなる場合があります。

そういう長い期間の手術待ちが必要な病院で手術をすることにした場合には、常に「別の病院でもっと早く手術を受けた方がいいのではないか?」という不安に襲われることになります。

かと言って、どちらの選択肢がいいかどうかは、参考にできる何らかの正確な数字でもない限り、はっきりとは分からないことです。

そのような数字を僕は見たことがないです。

 

どういった病院で手術を受けた方がいいのか。良い病院だったとしても、手術待ちの期間が長い場合は別の病院にした方がいいのか。手術待ちの期間が「長い」のはだめだとしても、じゃあ具体的にどのくらいまでなら大丈夫なのか。

そういったことに正確に答えられる人間は、おそらく専門家でもいません。

そういったことに対して、具体的に言及されている記述を僕は見たことがないです。

当然、僕もそれについて具体的なことは答えられません。

ですが、もし僕がそういった質問をされたら、「それはあまり気にしない方がいいですよ」と答えます。

気にしてもどうしようもないことだから、気にしない方がいい、と答える面もありますが、乳がんの治療のための病院選びでは、そういったことではなく、もっと気にしなければならないことが別にあると僕は思っているからです。

 

僕はこのブログで、彼女の乳がんの治療の経過を書いてきました。

その間に、乳がんの治療について知り得たことを、なるべくそのままの形で書き残してきたつもりです。

そうすることによって、どこかの誰かの参考にはなるんじゃないかと思ったからです。

ただ、自分に余裕がなかったことや、こういったことに慣れていなかったこともあって、このブログは全体的に書きなぐってしまっている感が強いと思っています。

あまり、情報として整理されていませんね・・・

このブログをアーカイブとして有用なものにするには、今までのまとめの記事として、書き直して整理するしかないのだろうか・・・

乳がんの治療として情報が古くなってしまっても、乳がん患者やその身内としての立場からの発言は、変わらないものもあるかもしれないですしね。

 

 

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