僕の彼女の乳がんはステージⅠで、病理検査の結果からルミナールAでしたが、主治医に抗がん剤治療を勧められました。

これは標準治療の範囲の中で考えても、過剰治療気味だと言えるはずです。

そして、僕と彼女はセカンドオピニオンとして、放置療法の著書で有名な某医師の話を聞いてきました。

短い時間のセカンドオピニオンなので深くは言及してもらえませんでしたが、この医師の勧めるがんの治療方針は、基本的に放置することです。

それが例えステージⅠであったとしてもです。

この流れだけ聞けば、僕と彼女はかかっている病院の治療方針に納得できずに、無治療を勧める医師のセカンドオピニオンに行ったように見えます。

ですが、信じてもらえないかもしれませんが、そういう意図ではないです。

放置療法の某医師のセカンドオピニオンは、手術をした病院の病理検査の結果が出る以前から行くことを決めていました。

僕は、積極的に治療をする側の見方と、治療を最低限にとどめようとする側の見方の、両方を聞きたかったのです。

 

どんな治療法にも、効果と副作用があります。効果と副作用の両方を考えて、治療の戦略を立てます。

副作用が強く出てしまう可能性は恐れず、考え得る効果のある治療法をすべて行うことは、戦略として正解の一つです。

副作用が生涯残ってしまう可能性がないかを正確に見極める必要がありますが、それさえ気を付ければ、非常に有効な戦略のはずです。

人間の寿命は長いです。治療に数年間かかったとしても、命の危険をその数年間で回避できるのならば、以降の人生で取り戻せます。

 

乳がんをまったく治療せずに、完全に放置するということもできます。多くの人は、これをただの命知らずの危険な行為だと思っているのではないでしょうか。

ですが、そうではないです。むしろ治療の戦略として無治療を選ぶ人が少なからず存在します。

無治療ならば治療の副作用はゼロです。

そして、がんは放置しても、全てのがんがその人の命を奪うわけではないです。

乳がんを治療する前提として、治療しないと死亡してしまう可能性があるから治療しているのであって、治療しないと確実に死亡するという訳ではないのです。

治療しなくても死亡しない時に治療した場合は、下手をすると副作用だけの丸損になってしまう可能性があります。

 

乳がんは命の危険があるのだから、しっかり治療をしなくてはならない。しかし、その治療法で確実に効果があるとは限らないので、副作用とのバランスを取らなければならない。

そのさじ加減はとてつもなく難しいはずです。現在のところ、専門家の間でも意見は割れています。

転移するより前の乳がんに対しては、転移再発の予防に対するガイドラインが作られていて、それらに従う治療が「標準治療」とされています。

しかし、僕の彼女のような一般的な乳がんの状態ですら、その標準治療内で医師間の意見が違いました。

 

なので、乳がんの治療(がん治療全般)は、患者の意思で治療法を決める割合が多くなってくるのではないでしょうか。

がん以外の普通の病気であれば、医師は患者に対して「こうすれば治る」「そんなことをすれば悪化する」と言い切るだけです。

乳がん(がん全般)に対しては、そういう説明はできない。全ては可能性が大きいか小さいか、可能性があるかないかの説明です。

「可能性が大きいから勧める」「可能性が小さいから勧めない」とはっきり言ってくれる医師は良心的です。

可能性の大小すらあいまいにして、誘導的に医師主導で治療法を決めようとしてくる場合もあるのですから・・・

「患者の意思」とは言っても、それは医師の説明方法に大きく依存してしまうことは明白なのですから・・・

 

今はネットで乳がんの情報を多く集められます。セカンドオピニオンも以前に比べれば気軽にできる時代になったと言われています。乳がん関連の書籍も多く、ネットで検索してすぐに購入できます。

客観的に多くの乳がんの情報を集められる良い時代です。

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます
よろしければ応援クリックお願い致します




にほんブログ村

僕は彼女が乳がんと診断されてから、常に彼女治療方針に口を出してきました。

転院も勧めました。医師の診断に対し常に懐疑的な気持ちを持ち、その時点の主治医の治療方針以外の情報も集めようとしました。セカンドオピニオンにも行きました。

がんの治療は彼女と僕の一生にとっての重大事だと思ったからそうしました。また、がんの治療は医師や病院の方針によって大きく違ってしまうという話を聞いたことがあったからでもあります。

しかし、今までの彼女の乳がんの治療の経過を思い出してみて、これまでの僕の取った態度はこれで良かったのか、と思えてきます。

以前に彼女が言っていたように、僕の気持ちを彼女に押し付けているだけではないのか。

彼女の乳がんの治療方針は彼女自身が決めるべきですが、僕がここまで口を出したら、ほとんど僕が決めているのと同じことなのではないのか・・・

 

先日の彼女の主治医の誘導的な治療方針の説明を聞いて、僕は非常に腹を立てました。しかし、よく考えてみると、僕が今まで彼女の治療方針に対して口を出していたことは、この医師がやったことと本質的には同じだったのではないのかと不安になりました。

僕としては、彼女の体のことを一番に考えていた。だから彼女が自分の体のことを第一に考えないような発言をしたら、それを怒るようなことをしました。

彼女の主治医は、いわゆる大人の事情によって、不自然な治療方針の説明の仕方をしてきました。彼女の体のことを一番に考えていない。だから、僕は彼女の主治医に対して怒りを覚えた。

僕だけが彼女の体のことを考えている。

 

ふと気づくと、そういった非常に危険で利己的な考え方に、僕自身が陥っていることに気付きました。

こういう、他人の健康に対してその本人以上に注意を払っていいのは、おそらく親が自分の小さい子供に対してだけです。

それ以外の場合は、そういった気持ちのほとんどは上手く行きません。経験的にも原理的にもそれを僕は知っていたはずなのですが、いつもすぐに忘れてしまっています。

彼女が健康であって、一番うれしいのは僕なのです。僕が自分の願望(欲望)として、彼女の健康を彼女自身以上に願っているのです。

それは押し付け以外の何物でもないのかもしれません。

僕は去年、この歳で唯一の兄妹である姉を失ったが故に、彼女の乳がんに対して彼女自身以上に過敏になっていたことを認めなければならないのかもしれません。

 

また、彼女は怪我や病気に対して、普通とは少し異なる感覚をもっています。僕がそう思うだけで、もしかしたら僕の方が普通と違うのかもしれませんが。

彼女は病気になったり怪我をすると、周りの人に謝ります。迷惑をかけてしまうから謝るのは分かるのですが、「なぜその病気になったり怪我をしたのか」には関わらず謝るのです。迷惑をかけない場合ですら、謝る場合があります。

そして、逆に僕が病気になったり怪我をすると責めるのです。同じように、その病気になったり怪我をしたりした原因に関わらず責めるのです。

僕の感覚からすると、自分の落ち度や不注意によって病気になったり怪我をした場合は、自分が悪いのですから、周りに謝るのも分かります。ですが、生きている限り、どうあっても避けようのない病気や怪我はあります。そのようなものを被った場合に、周りの人に謝ることは理解できません。むしろ同情される方が普通だと思います。

どうも彼女の母親が、彼女が小さいころから、そういう感じで彼女のことを怒っていたようなのです。病気や怪我の原因を正確に分析せずに、被害にあった彼女が不注意だったと一律に怒ったようなのです。

彼女はこの世のほとんどのものを恐れませんが、唯一母親だけは恐れています。それは彼女自身が公言していることですし、彼女を見ているとまったくその通りに見えます。

 

彼女がもし、乳がんになったことは自分の責任であって責められるべきことだと思っていると仮定したら、僕が彼女の乳がんを心配すれば心配するほど、僕が彼女を責めているように感じていた可能性もあります。

そう考えると、僕が彼女に治療の選択肢を提示するだけで、彼女が嫌がって「私にあなたの望む治療をさせようとしている」と言ってきたことも辻褄が合います。

こういったことも、以前からある程度は気づいていたことでした。ですが、目の前の治療方針のことになると、どうしても合理性を優先させてしまっていました。配慮が足りなかったです。

 

こういったことを少しずつですが、最近は彼女と話し合えるようにはなってきています。少しずつでいいから、分かり合えるようにして行ければと思っています。

 

最後までお読み頂きありがとうございます
よろしければ応援クリックお願い致します




にほんブログ村

前回のブログ前々回のブログの補足、というか、お詫びをしたのですが、今回のブログでも、前々回の書きなぐった回の補足をしたいと思います。

今回は本当に前々回の補足です。

まず、始まりで「発破をかけよう」と書きましたが、普通に読んでもこれは何かわかりませんね・・・

これは、僕が彼女に「最小限の治療を望むのならば、その分、生活習慣や食生活を良くする努力の覚悟が必要だ。その覚悟があなたにはあるのか?」という意味合いのことでした。

彼女は乳がんが発覚してから、生活習慣や食生活を改善しようと思う意思はありました。

意思はあったのですが、客観的に見て、あんまり変わってはいませんでした。

いや、変わってはいるのですが・・・

僕から見ると、ちょっと足りないような気がしてました。そして、今月の終わりには、治療方針決定の時が来るのです。そこで決めた治療方針は後からは変えられません。

治療方針と彼女の心がまえは、ある程度合致していなければだめです。

なので「発破をかける」つもりでした。

そうしたところ、彼女から衝撃の言葉、「ホルモン治療もやりたくない」が出てしまったのです・・・

その時の僕の心情はもう存分に書かせてもらいましたので、この話はここで終わりましょう・・・

 

他の補足をします

僕は「彼氏の心情 彼女の心情」というタイトルで2回ブログを書いています。これ以降も何回か続けていくつもりでした。

ですが、もはやそんな内容をすっ飛ばして前々回のブログを書きなぐってしまいました。

もはや、乳がんになった女性の彼氏の一般的な心情も何もあったものではない状態です。

本当に申し訳ありません。

 

もう一つ補足をします

前々回のブログの半ばで、乳がんを「放置」するということを書きました。

これは、このブログで今までは一切書かなかったのですが、僕の中では非常に大きな問題です。

いずれまとめて少しずつ書いて行こうと思っていますが、ここでは詳しい内容は書かないことにします。

非常に大きなテーマであって、簡単には書くことはできないのです。なので、取りあえずは後回しにします。

気になる人は「がん 放置」「標準治療 放置」「放置療法」などで検索してみて下さい。

 

最後にもう一つだけ。

「抗がん剤」についてです。

前々回のブログで「抗がん剤」という言葉を使いましたが、それは化学療法に使う薬のみを指して使いました。

タモキシフェンのようなホルモン治療に使う薬も、広義にはがんに抗する薬なので「抗がん剤」と呼ぶようなのです。

僕が今まで調べて得た知識では「抗がん剤」というと、上記のどちらの使い方もしている感じでした。

今のところどちらの使い方が妥当なのか僕には分からないので、このブログ内では「抗がん剤」を「化学療法を行う時に使う薬」としておきます。

ホルモン療法や分子標的治療などに使う薬は、このブログ内では抗がん剤とは言わないことにします。

多分ですが、皆さん、両方を曖昧に使っているんじゃないかと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございます
よろしければ応援クリックお願い致します




にほんブログ村

PAGE TOP