前回のブログは感情的に書きなぐってしまいました。お見苦しいところをお見せ致しまして、申し訳ありませんでした・・・

少し冷静に前回のブログを読み直し、自分と彼女の関係や立場や心情などを考え直してみました。

 

彼女が自分のことを大切にしないのであれば、僕には分かれるという選択肢しかない、という考えでした。

そして、僕が一番気にしているのは、彼女が自分自身をいたわる努力を惜しむならば、やはり一緒にいることはできない、ということでした。

たとえ、彼女がホルモン治療を拒否したいと思ったとしても、それが単に女性らしさが損なわれるというだけの浅はかな考えからでは、僕は納得できません。

たとえ、ホルモン治療をやらないと決めるのにしても、大きな効果を期待できる効果的な治療法なのですから、その効果や副作用など、よくよく調べよくよく考えた上で、なおそれでもその治療をやらないことを苦渋の決断として欲しいのです。

 

そういった気持ちは今でも基本的には変わりません。

 

ですが、僕には至らないところがあったと考え直しました。

 

今、一番苦しいのは、乳がんの患者の彼女のはずでした。

僕がどれだけ労力を使って彼女をサポートしようとも、僕の方が彼女より苦しいということはないはずでした。

どうも、僕と彼女の場合、病気全般に対する彼女の強さ(鈍感さ)のイメージが先立ち、彼女の病気で彼女よりも僕の方が精神的に苦しんでいる、という感情になってしまうことがよくあるのです。

ですが、それは錯覚で、彼女の方が苦しいはずでした。

よく考えてみれば、誰かをサポートするというのは、本来そういうことなのでした。

 

僕は彼女がサポートされる側として非常に不真面目だと感じました。

しかし、本来、そもそもサポートが必要な人とは、苦しい状態にあり、しっかりとサポートを受ける体制を整える余裕もないかもしれないのでした。

介護などを想像すれば、これはよくある当然なことなのかもしれません。

介護される側が、介護する側に感謝せずに、介護する人の手間ばかり増やす、などということは日常茶飯事なのではないでしょうか。

介護される人が介護する人の言うことを聞かないから、介護をやめる。

そんな単純な構図では、介護など成り立ちません。それは浅はかです。

 

介護ですら、そうなのです。

 

僕が彼女のサポートをするのは、介護とは比べ物にならないくらい、僕自身のための行為です。

 

たとえ、彼女が彼女自身の体を僕が願うくらいにいたわらなかったとしても、それは僕の苦しみであって、彼女の苦しみではないです。

僕の苦しみと対峙するのは、僕です。

彼女は彼女の心の中で、僕の苦しみとは別の、彼女自身の苦しみと対峙しているはずです。

乳がんの患者の彼女の苦しみは、おそらく僕の苦しみより大きいはずです。

僕から見て彼女が彼女自身の体をいたわっていないように見えたとしても、そのことで彼女にとやかくいったり、ましてや、彼女のサポートを僕がやめることなど、間違っていました。

とりあえず乳がんについて、彼女が考えている自分の治療法を尊重しつつ、僕が情報を集めアドバイスをする、というスタンスを続行しようと思います。

ホルモン治療についても、もう少し詳しく調べてみようと思います。

 

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